2017年03月16日

コーチ・えのもと(17)

365かける2といくらかの歳月をかけて毎日まいにちコーチえのもとがぼくらに教えたことはテニスであるとばかり当時は思い込んでいた。

ぼくの練習メニューの1つめだったスマッシュは250本が日課だった。1本でもネットにかけたり的から外したりしたら1本目から数え直しだった。

彼は打ち方についてしゃべりかけながらぼくらにたくさんすぶりをしてみせた。

スイングや身体の動きに関してはゴルフと野球と卓球の話が多かった。
テニスもゴルフも野球も同じこと、というのが彼の持論だった。

クラブとバットとラケットで身体の使い方が同じだという彼の理論が正直なところ、ヴォクは今でもよくわかっていない。


彼はぼくらにてっきりテニスを教えてくれているのだとばかり思ってた。
でも違った。

いまになって思えばそんな技術的なものではなかった。すぶりにごまかされていた。

実際彼が球出し以外ではラケットをもつことはなかったし彼はテニス初心者でフラットにラケットを持つことすらしていなかった。カットボールしか受けた記憶がない。

彼のベンチにはテニスの本が置かれていて、彼が折り目をつけたドッグイヤーのページを開いて確認するシーンを目にすることは少なくなかった。

彼は一日の終わりにはいつも筋肉痛だったんじゃないか。
あんな下手くそな手打ちで何百球千球も球出しのため打っていたら肘も肩もがいたくなったに違いない。そのそぶりすら見せなかったけれど。


彼はぼくらにいったい何をしたかったのだろう。
その問いがいつものように気になって仕方がない。


耳にタコができるくらい聞かされた「30になったらわかるからやれ!」の言葉を信じやったが、わかるまでに15年も必要なかった。

18歳になるまでにはそれはもうぼくらの信念になっていたんだ。

成し遂げるための方法がそのことを除いて他になにひとつないということは、もはや疑いようのないくらいにまでしみついていた。

コーチえのもとはぼくらにテニスを教えてくれた(ように見えていた)。
そしてすべてを教えてくれた。
ついでに少しだけ筋骨たくましくもしてくれた。

コーチえのもとは、ひとつの物事に打ち込むことをぼくらに教えてくれたんだ。
ボールの打ち方なんてもんでなく。

夏休みになると練習はいよいよ本格化した。練習スケジュール表などというものはない。休みという文字はコーチえのもとの辞書に存在しなかった。

雨のたまる日以外は朝6:00からボールが見えなくなるまで毎日外のコートで練習、大雨でコートに水たまりが多い日は自主練を体育館でやった。
夏が来るとまだ暗い空の下、自転車をこぐ田んぼのあぜ道の記憶があの草の匂いとともによみがえる。

帰りはもっとまっくらでハンドルが曲がってライトをうまくさせずよく田んぼに落ちた。足ががくがくで自転車をこぐ力も弱々しい。

ほっとするのは12:00から13:00の休憩のときだけだった。
喉がかわきすぎておにぎりひとつ食べるのがやっとで繰り返し繰り返しポカリスウェットを飲んだ。
そして階段の陰で空を見上げた格好のまま目を閉じてとにかく休んだ。
もうこのままずっと休憩だったらいいのにと思っても13:00になると集合〜〜〜の声をかけねばならなかった。

コーチえのもとがぼくらに挑んだ闘いは夏の猛練習だった。

一日経つごとにぼくらはたしかにうまくなった。

あのときだ。練習すればするだけ絶対にうまくなるということに気がついたのは。

家に帰りつくと地下から出る水のシャワーを頭にかけた。
まるでスイカを冷やすみたいに長い時間水のシャワーをかけた。

夏休みに、部員の全員がテニスのフォームが同じようになり程度の差はあれみなうまくなった。
程度の差はあれみな真っ黒の肌になった。

夏の試合でも、日により焼けているチームが勝った。
あれだけ練習して負ける方がおかしいと誰もが気合でボールを打った。

負けるわけがなかった。

posted by ヒカリ at 15:13| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

コーチ・えのもと(18) plus ジーターからイチローへの手紙 plus 選択問題実施校(埼玉県公立高校入試)と問題演習 plus M3から光へのお手紙

コーチえのもとがいつも話してくれた話。(方言と口調は少し修正してある。)

疲れたか? 疲れて疲れて足が棒になってもういごかんくなったか?
その時がチャンスだ。

そん時にボールを打て。その時のフォームはいいフォームや。無駄な力が入らんいいフォームや。
力が出ないからただまっすぐボールを打つだろう?

その時のフォームを身体に覚えさせなさい。
その時のフォームで普段から打て。

たしかにそうだ。
無駄な力が入るどころか力がない。
ボールを打つのがやっとなのに無駄な力など入れようもない。
いちばん楽な振り方でコマのように回転してボールを打つことができた。


長時間のクタクタ練習は何のためにあったのだろう。
疲れすぎると意識が遠のいていって疲れを感じなくなってくる瞬間が訪れる。それでもグルグル回って自分の番になれば打って走って打って走るしかない。
止まると列が壊れるので止まるという選択肢はない。
ただ前に進みただ回転するしかない。
それが練習の全てだった。

疲れを感じなくはなっている。でも足が徐々にほつれてくるように感じる。
気がつくと足がついにどこかに絡まって倒れたのだろうか、バケツで水をかけられ涼しくて目が覚めた。

朝6時、サイレン音と同時にランニングをする。
全員一列になっているのでペースに遅れることは許されない。
ランニングの途中でコーチえのもとが笛を吹く。
次にもう一回の笛が鳴るまでダッシュをしなさいという合図だ。
この間ダッシュし続ける、一気に息が上がる。ぜーぜー。

朝一でグラウンドではおじいさんや子供たちがラジオ体操をしている。
平和でいいなーと思いながら自分たちは走った。
走らされた。

ランニングが終わったときにはもうクタクタだ。上半身裸で走っており、シャツはつけていないが暑くて熱くて服を脱いで水をかぶりたいような感覚になった。

それなのに逆に服を身につけ今度はラケットを持った練習が始まる。
ラケットを持つ前にもう身体が重く暑い。まるで亀仙人のじっちゃんの亀の甲羅を背負って動いているような感覚だ。

足の速くなかったヴォクのようなものにとって朝一のランニングがとにかく嫌だった。
逃げ出したかった。
やれやれ、今日もきつい1日になりそうだ。

plus イチローへ書かれたお手紙 ジーターとイチローと通訳の秘話などが書かれていた。

plus M3からお手紙をいただいた。直筆の文字をぼーと眺めていると中1や高3だった頃のいろんな会話が思い出される。

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plus 学校選択問題の実施校20校が発表された。
光塾生の全員が対象になっている。例年同様にハイレベル演習に重点を置いている。

学校名

学校選択問題を実施する教科

備考

浦和高等学校

数学・英語

全日制課程

浦和第一女子高等学校

数学・英語

全日制課程

浦和西高等学校

数学・英語

 

大宮高等学校

数学・英語

 

春日部高等学校

数学・英語

全日制課程

川口北高等学校

数学・英語

 

川越高等学校

数学・英語

 

川越女子高等学校

数学・英語

 

川越南高等学校

数学・英語

 

熊谷高等学校

数学・英語

全日制課程

熊谷女子高等学校

数学・英語

 

熊谷西高等学校

数学・英語

 

越ヶ谷高等学校

数学・英語

全日制課程

越谷北高等学校

数学・英語

 

所沢高等学校

数学・英語

全日制課程

所沢北高等学校

数学・英語

 

不動岡高等学校

数学・英語

 

和光国際高等学校

数学・英語

 

蕨高等学校

数学・英語

 

さいたま市立浦和高等学校

数学・英語

 

(学校名:五十音順)(埼玉県のホームページより引用しました。)

上記の学校を受験する場合の対策として。

英語では要約問題を多く演習する。ヒントなしで穴抜きの英単語を埋めて、要約文を完成させる。練習にはお茶の水女子高の入試問題のような良問が最適だ。

数学では関数と図形の難問が出題されるだろう。練習には過去10年分の入試問題がいちばんよいがたとえば図形で折り返し図形、折り紙図形だけに絞るのは対策としては不備が生じる。

円図形や一般的な直線図形なども含めてハイレベルな問題で発想力と計算力に磨きをかけるのがよさそうだ。


もっとまっすぐで、書こう。

合格点をとるのに超難問を時間をかけて解くことはほとんど関係しない。解けるべきスタンダードな問題を短い時間で、スピーディに解き切ることができるかに鍵がある。その上ではじめて余った時間10分を大問の最後にある複雑な計算を要する問題2題にあてることができるだろう。

そういうことがあるので、練習するときには制限時間を40分で解くのが効果的である。



posted by ヒカリ at 05:51| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

コーチえのもと〜一本の最高級ラケット〜

コーチえのもとのラケットは当時の最高級品だった。

ヴォクは先輩からのもらいものがなかった。吹奏楽部からの移籍組で遅れ組だったのでおこぼれがなかった。
はじめは部の余りを借りてすましたがグリップもはずれいよいよ限界。ヨネックスのレックスキングソフト17を買った。

エースナンバーに近い数字の17という数字が好きだったのと、あまり高くないのでというくらいの理由だったか。理由などないといえばそれでよろしい。

部員には鯨でできた高級ガット、「ゲイキン」を使うものもいた。
ゲイキンは雨に濡れると切れるので手入れが大変だし本当に切れやすくお金がかかるので一番手の選手以外は手を出さなかった。

コーチえのもとはテニスはうまくなかったがラケットとガットは最高級だった。
それは平均的なものの3倍もした。木の一本シャフトでヴォクのものの5倍の値がした。
ギターと比べたらピンとキリの差が小さいがそれでも業界の最高級品。
コーチえのもとのラケットを運ぶときはうんと気をつかったものだ。

ある日、ある一人の部員がぼーっとつったって声も出さずボールを打っているときだったろうか急にコーチえのもとは彼を呼び出してその高級ラケットで彼をケツバットした。
ぼくらは唖然とした。
ケツバットにではない。
そういうのはいつものことでありがたいことだった。
そのときぼくらが驚いたのはコーチえのもとが高級ラケットを手にしたまま思い切り彼のケツをラケットのボールを打つ面で叩いたときに、ラケットが真っ二つに折れ曲がってしまったからだった。
ラケットはコーチえのもとの手からひゅるりと抜けコート脇にくの字になって飛んで行った。

「あ、高級ラケットが・・・」コーチえのもとの顔をぼくらは見た。
コーチえのもとはラケットには目もくれずさきほどの部員をどなりつけている。

その日の練習後の訓話では折れたラケットの話は出てこなかった。
でもいつも以上に背筋を伸ばしたぼくらの身に、彼の言葉がよくしみた。
帰り道、ぼくらのお尻は最高級にいたかった。
posted by ヒカリ at 05:55| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月08日

コーチ・えのもと(16)

これもまたコーチえのもとに習った練習術の話。

高地トレーニングをやらされた。
ぼくらは中学生なのだが社会人のもんげーうまい人を連れてきて乱打をお願いし、ぼくらの誰かが打ち勝つことはまずなかった。
乱打というのはただ相手のコート内4分の1の決まった範囲内にまっすぐに力任せで打ち合うことを言う。

乱打は20本30本連続で続くのは当たり前でときには40本50本以上も続くが結局社会人の方が打ち負かされることはまずなかった。

打ち負けるぼくらの方は交代するので交代せずに打ち続ける横綱はついに体力がいつか切れて何周目かには負けることがあった。

これは乱打に打ち負ける状態ではなく体力がなくなっているだけなのだがその時にたまたま乱打していた者はまるで自分が乱打でコーチに打ち勝ったような気分になり自信をつけたもんだ。

社会人の方は軸が決まり無駄な動きがなく何百球と打っても安定したスイングでぼくらをなぎ倒してくださった。あんなに小さなスイングでどうしてあんなに速い球が打てるのだろう。
相手の球が速ければ速いほどコーチは小さな動きで同じくらい速い球を打ち返してくる。ぼくらは乱打の間中、コーチのフォームを目に焼き付けた。

終わるとコーチは、えのもと監督と10分くらい何か話をして帰っていった。コーチと直接お話をしたことは、えのもと監督とお話をしたことがないのと同様一度もない。

その練習のことをコーチえのもとは「高地トレーニング」と呼んだ。
ぼくらはえのもと先生にならって彼のことを「コーチ」と呼んでいたのでひょっとしたら「コーチトレーニング」の方の漢字をあてるのかもしれない。

でもえのもと先生は練習後に話してくれた。
「練習はハードにやれば試合の方が楽をできる。練習は試合より速い球を受けなさい。練習では試合中より一歩前に出なさい。練習では試合中よりもっと強い球を狙いなさい。マラソン選手も高地出身の選手層は強いだろう? あれは本番より空気の薄い場所で練習しているから本番の方が楽だというのもあるぞ。」

そういう話があったのでやっぱり「高地トレーニング」と漢字をあてるのだろうなとぼくは勝手に解釈していた。

いくらハードな設定だからと言ってネット前のド至近距離からボレー練習の球出しをするあの練習だけは今思い出すだけでもこわい。

何回メガネにあたってメガネがずり落ち、鼻がいたくなったことか。

posted by ヒカリ at 23:31| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月20日

コーチ・えのもと(15)

子どもが先生を見つめている。
じっと見つめてる。

ときおり子どもたちは、はい、と声を揃えて返事をしている。
壁から半分顔を出して覗くものがいても、
カラスがかあかあ猫がにゃあにゃあとないても、

子どもが先生を見つめている。
先生は何かを話してる。
手振り身振りで何かを伝えている。

それはまるで耳元でささやいているような、
それはまるで糸電話でなにかの意図を伝えているような。

子どもの顔は20度くらい仰いだ先の先生の顔を向いたきりだ。
動かずに。

いや先生の動きに合わせて首と目だけが動いてる。
両の手先はピンと気をつけいをしたまま。

じっと耳をすましている。
あー、コーチえのもとがここにいるよ。

あわててヴォクも夢の中のコーチえのもとに耳をすます。


浅山はテニスが下手や。
浅山には才能がない。
でも朝、コートにきてひとりで練習しとる。

いちばん早くきて練習しとる。
うまくなってる。
フォームが固まってきとる。

浅山は一軍の3番手になろうと必死や。
浅山はうまくなってきとる。
練習のプロや。
練習ではうまい。

いーか、おまえたちは浅山になれ。
浅山の練習をみろ。
浅山はいちばんにきて壁打ちをしとる。

きこえてきた。
ありがとう、ありがとう。
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コーチえのもと(15-1)
コーチえのもとは練習後にいつも話をしてくれた。
あんなに長々と毎日話したいことがよくあるものだなと今になって思う。
家族が子どもに話すよりもひょっとしてもっとたくさんのいろんな話をしてくれたんだ。
逆にぼくらはコーチえのもとのことをほとんど何も知らなかった。
コーチえのもとは家族と過ごす時間をつぶしてぼくたちの練習を見ていてくれる、そのことが不思議でならなかった。
盆も正月もなかった。
ただ雨の日だけはコーチえのもとはコートにこなかった。
雨が好きになったのはあの頃からかもしれない。
あー、きょうは遊べると考えたものだった。

かつて全国大会に陸上で出場した卒塾生(現大学生)がヴォクに話してくれたことがあった。
「練習をがんばったのはコーチのためです」と。

ぼくたちもほとんど同じような気持ちだったかもしれない。
テニスをがんばることがテニスでないところで絶対に役立つ。
お前たちは今はテニスをやっちょっが、大人になったらテニスなんかせんやろう。
でもいまやってるテニスの中に将来勉強をして仕事をするときにつながっていくものがある。
30になったらわかるからとにかく誰よりも練習をしなさい。
一球に気持ちを入れなさい。
中途半端に打ったらいかん、俺は半端はひとっちゃすかん。
誰かが倒れるまで1セットの練習は回すから倒れるまでやれ、俺が水をかけて起こすから心配はいらん。

そして倒れるのはだいたいのところ、ヴォクだった。速さについていけずに足がからまってずっこけるだけで倒れるといっても気を失ったわけではなかった。

もともと吹奏楽部で運動はからきし苦手、運動会が何より嫌い、足も極めて遅かったヴォクは部員の中に男子が一人しかいなかったことになぜだかたえかねて仕方なしに三ヶ月遅れでテニス部に入部した。友達がいたからというただそれだけの理由だった。

「お願いします」と入部届けをもっていったときもコーチえのもとは何も言わずにただ用紙を受け取っただけだった。まさか鉛筆で名前を書いただけのあの紙切れ一枚がその後のヴォクの人生にここまでの影響をもたらすだなんて思いもしなかった。

その後部活引退まで直接お話をしたことというのは一度もなかった。
説教を聞きちょっとした返事をするくらいはあったけれど。

夏休みは太陽よりも長くぼくらはコートの上にいた。
太陽が出る前に家を出てボールが見えなくなったらコート整備をした。

太陽が基準の練習時間だったので物理的な限界まで練習をすることができた。できることは全部やったと思いながら帰る日々が続いた。
これが充実でなくて他のどこに充実があるのだろう、あーきょうはテニスを倒れるくらいやった。
コートにライトが整備されていなかったこと、体育館にコートがなかったことが練習に区切りをもたらした。

太陽の出ている決まった時間しか練習ができないということ、雨の日はコートが痛むので練習をすることは許されないということを知った。
限界があったので限界のところちょうどまでテニスをすることができた。

これは1日に終わりがあること、天気に従うしかないこと、制限の中でベストの練習をすることをぼくらに教えてくれたんだ。

ゲイキン(くじらのガット)はまた雨に弱かった。
雨が降るとボールははねにくくなる。いつもの練習は中止になった。
体育館の中でやると膝を痛めるので試合は野外で行うのが基本だった。

天気とは天の気分なのかもしれない。
でもその天の気分のおかげでぼくらは限界のところまではやるということの意味を知った。
恵まれた村の生活をしている中学生達にとって限界を教えてくれるものなど他になかった。

部活動と天気のおかげで、限られた時間いっぱい(そう、時間はいつだって限られている)は必死にやるという動きをぼくらは身につけた。






posted by ヒカリ at 08:32| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

コーチ・えのもと(14)

コーチえのもとの話ははじまった。
夜7:00くらいになってもう誰がコートに立っているのか見えなくなったら練習が終わる。

5分でコート整備を終え整列。ブラシとトンボが部員数の3倍くらい、鉄のローラーが3台もあったので整備がすいすい進む。
一日のトレーニングのしめのメニューとして、みんなテキパキやった。

「しゅーごーーー(主将)。」
整列。
礼。
「おねがいしまーす(全員大声で)。」

整列。立って気をつけして話を聞く。練習中はずっと大きな声を出しているが話を聞く時は返事の「はい」を大声でするとき以外、のどをつかわない。
心休まる至福の時だった。喉を休められる身体を動かさないでいられるからではない。
話がおもしろかったのだ。

練習試合の相手チームの声出しがよかった話。
部員の定期試験の結果の話。(テスト結果は全部員分コーチえのもとは知っていた。)
練習試合の相手コートがよく整備されていた話。
練習試合の相手チームの部員が休憩前にラケットとボールカゴを整然と整理してきれいに並べていた話。
練習試合の相手チームの監督から聞いた練習方法の話などもあった。
そういうことがつかみで?二分くらいあって残りはひとつのことを話してくれた。

いつもテニスのフォームの話をしてくれた。
フォームができたらいいボールが打てるようになるという話だった。
軸がぶれない。
面ができている。
点でなく面で拾う。
駒のような中心軸。
壁のような前軸。
優勝しなさいという話もたまに途中で出てきた。でもそれは当たり前のことだったので結果で完了形で語られた。優勝しなさいではなくて優勝したときのそれまでの練習について。いまのフォームについて。

フォームの話は長かった。
短いときで30分。長いときは60分くらいしてくれた。
かえりはだから8:00になる。
あんなにたくさん話すくせにぼくらはコーチえのもとに家族が何人いたのか、どこに住んでいたのかさえ聞いたこともなかった。盆と正月以外は毎日いっしょにいたのに彼のことをあまり知らなかった。こわくてだれひとりそういうことをあらためて聞こうという気にはならなかった。

コーチえのもとは自分の話を一切せずずっとフォームの作り方を話してくれた。
どうやったらテニスがうまくなるかの話をしてくれた。
だからはじめ個性的だったフォームのものも全員同じようなフォームの基本を身につけた。
やせふと、足の速さはなかなか変わらないがフォームなら大体基本的な部分がみな同じになった。
選手を見て真似をし、鏡を見てそれに近づいているかと確認し素振りをしてそのフォームが自分のものになるまで振り続ける。
すぶりは100回を1セットとしいつどんなボールが来ても同じスイングで返せるようにと心掛けた。
尊敬する元ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手の『不動心』という書物を後日読んだときに、ああ、コーチえのもとがいっていたのはこのことだったかと思ったものだ。

テニスでは同じコーチにならう選手のフォームが同じような形になっていることは少なくない。コーチえのもとの指導はフォーム指導に関するものが多かった。

球をうまく拾えなくても怒られないが、フォームをくずした打ち方をしているとこっぴどくやられたもんだ。

同じようなフォームを身につけたぼくらはバラバラの高校へ散った。
高校の大会で勝ち上がると同じ中学のときの仲間と戦うことになった。
彼らはみんな同じようなフォームで打ち合って勝ったり負けたりした。
ぼくは高校でキャプテンをやりぼくの相方だった仲間も彼の高校でキャプテンをやった。へー、下手くそなお前がキャプテンかと馬鹿にされ、お前こそキャプテンか似合わないなと突っ込みを入れた。

試合の帰り、高校では自由に練習しているがどこか生ぬるくて調子が狂うと帰りの電車の中で話したりもした。
練習時間だけならコーチえのもとの練習も高校での練習もそこまで変わらなかっただろう。

でもコーチ・えのもとが見ていなかった。
もう何も言ってくれなかった。
だから物足りなかったんだ。

あのとき7:00から聞いたことを思い出しながらぼくらは各自の高校のコートの上でそれを実行しようとしていた。
中学生の頃はよくわからなかったが、耳にたこができるくらい同じようなフォームの話ばかり聞かされていてよかったと何度思ったことか。

いや、いまでも感謝している。
耳にこびりついてて離れない声とその言葉に。

暗くなると、コーチえのもとの声が聞こえてくる。流れてくる。

「インパクトの時以外は力を抜け。力で打つんじゃない。重力と遠心力だけでいい。」

物理学のことはとんとわからなかったがとにかくぼくらはタコのように力を抜いた。
たまに力んでいるとコーチえのもとが後ろからラケットを引き抜いた。
「力を入れんな!」
すごく強い力だった。

「腰を落とせ。重心を低くせー。」
リラックスしながらかつ腰を落とす理由がとんとわからなかったがぼくらはとにかく重心を低くした。ゴルフのようにでなく地面と水平にラケットを回した。

「手打ちをするな。腕は振り回すな。」
ぼくはラケットをぐるぐるぶん回したくてテニス部に入ったのに腕を振るなとはないでぃお?と思ったがぼくらはみな代わりに腰を回して手は固定した。



















ずっとフォームの技術的な話だったのでてっきりフォーム指導を受けているのだとばかり思っていた。
でもいま思えば違った。

フォームを考えるようでいて、ひとつの身体の動きが身につくまで何球も何球も繰り返すということをコーチえのもとはぼくらに伝えたかっただけだったんだ。
そもそも彼はテニスの初心者で正しいフォームがどういうものかわかっていなかったはずだった。
それなのにどうしてうまくなるのかと考えるとそれは少しだけ多く意識的に考えるようにし、少しだけもっと多く考え型をイメージしながら素振りをするようになり、少しだけ多く球を打ち、少しだけ余計に身体がクタクタになっていたからだ。

いい球が行くのは疲れはてて身体に力が入らなくなるころだった。
フォームのことを何時の間にか忘れ、練習なんかはやくやめて水が飲みたい、水が飲みたい、身体を休めたい、動きをとめたい、と考えるような周回数になる頃、不思議とポンといい球が走った。

省エネで無駄のない、駒のようなフォームが向こうの方からぼくたちに現れた。
打った自分が驚くようなボールがポンと行った。
posted by ヒカリ at 05:48| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

コーチ・えのもと(13)

コーチえのもとはぼくらのコーチになる前年まで、前任の中学で卓球部を担当し県内優勝常連に導いていた。
テニスには関係ないが彼は昼間は中学教師で、大学では物理と数学をし中学では数学を教えてた。

コーチえのもとがフォーム指導にこだわっていたのは練習終了後や練習の合間のことで、練習中はスピードある動きのことをぼくらに教えてくれた。速くするというのが本当はどういうことなのかを教えてくれた。

卓球で習得した練習法なのかは知らんが球出しの速度が速かった。
たとえばぼくにボレーの練習をさせるときは1秒に1、2本くらいずつの高速で100本連打で叩きつけてくる。
それが2mくらいの至近距離からのほぼ全力ではじめてその100連打をくらったときぼくのメガネが鼻を打ち付けメガネはずり落ちボールへの恐怖感とえのもとへの恐怖感が生まれた。

この人はどうして実戦でありえないようなペースでボールを出してくるのだろう。
それにコートはこんなに広いというのにどうして卓球みたいに近い距離でばかり球出しをするのだろう。
卓球が得意だから卓球方式と来たもんだ。ちくしょー。汗と涙で目がよく見えないや。
せめてメガネを戻したいなぁ。

そんなことを思いながらノック終了後にコートに落ちたメガネをひろって直したりした。

右回りに四人がくるくるくるくる回りながらレシーブをしてボレーをしてスマッシュをする定番の練習では一周が5秒くらいだったろうか。
それが20周、30周、40周と続き息が上がり足が動かなくなり途中滑ったりずっこけたりする。レシーブしながらボールをさばきながら前に出てボレーをし後ろに下がりスマッシュをしレシーブのポジションに戻ってレシーブをとくるくる目が回る。
フォームなんか考える余裕などなく楽をして、動く距離を小さくすることや近道をすること、ラケットを振り回さずコンパクトに動いて自分が倒れないことを心がけた。
うまくなるためにやっているはずの練習だが倒れないようにするという自己防衛本能が明らかに上回った。
コーチえのもとは声を出さんかー、下がらんかー、走らんかーなどと叫びながら球出しの手を休めることなくぼくらをくるくると回し続けた。
誰かが倒れるまでペースをどんどん上げた。
一軍で一番やせのもやしだったぼくがだいたいはじめに倒れるとメニューが終わった。
倒れるとボールを5球ほど身体に打ち付けられた。(ボールがやわらかいのでいたくもかゆくもない。)
なんとありがたい励ましか!
息ができる喜びとあいまっていたくもかゆくもないぞ。

大学生以降、東京ばななの夜間工場、京タコを焼くこと、DMの封詰めなど回転系の仕事も運良くいくつか経験したがコーチえのもとの流れ練習に比べたら楽だったかもしれない。なにより倒れなくてすむのがよかった。

「身体がきつくなったらチャンスだと思え。
そのときのフォームを身体に覚えさせろ。
無駄な力の入ってない楽なフォームだ。
それが身体にあったお前のフォームだ。」

「いいか、どんなフォームにも基本というもんがある。
いいフォームで打てば体勢を崩されたときでもへんなボールがいかない。
いいフォームで打てば何球叩いてもネットに掛かりにくくてラインから出にくい。
いい選手はいいフォームを身につけておる。落合博満のフォームと○○(いちばん下のCチームの部員の名前)のフォームの共通点がわかるか。」

「足にも不定形のフォームがある。
常に左右に揺れなさい。
両足を右左交互に小さくステップして右にも左にもすぐにいごけるようにしなさい。
とまった状態から人は急にいごかない。
いつもいごけ(※多分、「動け」のこと)。
かるく左右にいごいていたら右のボールにも左のボールにもすぐに対応できる。きまった形がないのもフォームのひとつだ。」


暗闇のベンチの上から聞こえてくる。流れてくる。

posted by ヒカリ at 05:55| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月25日

えのもと監督(1)

えのもと監督はテニスの試合ができなかった。ご高齢で足が動かないこともあったがそもそもテニスの初心者だった。

ぼくらが九州大会や国の大会に出るくらいになると監督はひとりだけ人を連れてきた。

うまくなった数人だけが、えのもと監督が連れてきたそのコーチを相手に乱打をすることができた。乱打は文字通り乱打であってネットにもかけずコートからも出さずに40本、50本と連続でとにかく全力でまっすぐに打ち合った。

力と力の勝負だった。年齢も立場もない。打ち負かしたほうが勝ち。
カーブもスローカーブもない。(テニスではロブといった。)

ストレートを全力で打って相手が力負けしたら乱打が終わる。
何本打ち合うのか数えてはいなかったがときに5分くらいエラーなく継続して打ち合った。コーチは数人と合わせて1、2時間くらい打ち合ったら、監督とちょっと話をしてすぐに帰った。そういうことが月に2、3回くらいはあっただろうか。監督はどういう意図とタイミングで彼を呼んでいたのだろう。

えのもと監督はいつものようにコート脇の日陰のベンチにひとり腰掛けタバコをプカプカさせてただその乱打を見ていた。
彼がコーチに練習を手伝わせたのはその乱打のときだけで、球出しなどの基礎的な練習のほとんどは自らのラケットで球を出してくれた。
えのもと監督の球出しは、落合博満のノックのようなコース際どく狙われたものでなくどっちに飛んでくるかもよくわからない無回転や逆回転の悪球だったのでぼくらは必死に追いかけた。

いま思えばボールの軌道をイレギュラーにするためわざとああいうへんてこなカットボールを出していたに違いない。
当時は監督はボール出しが下手だなーと思っていたが最近やっと気がつくようになった。

夢に監督がよく出てくる。
練習のあとに暗がりの中で話してくれたいろんな説教話が夢の中でははっきりと聴こえてくる。

「やるならやれ。やらんならやるな。俺は半端はひとっちゃ好かん。」

3日に1回、300回くらいは聴いた監督のこの言葉。帰り道に部員同志でも監督のものまねをして言い合ったのでもう何回聞いたか数えきれない。

よくもまあ同じことをこう何回も何回も話せるもんだと思っていたが、でもそれだけ言われるとさすがに米を主食にしてるくらい当たり前になった。
常勝チームの暗黙の合言葉だった。
「練習を一番やってる。だから優勝したんだ。わかっか? 次も優勝したいか? じゃあどうすっか?」

ヴォクの足は夢の中でも疲れと監督の顔を見る緊張から直立してガクガクだ。
安いという理由だけで長くつかってたマイラケットの3倍の値はしたであろう監督のラケットは説教中にケツバットを部員にして、折れることがあった。
そんなときぼくらは「ああ、監督は本気で怒ってるんだな」とシンとなった。
それはつばを飲むくらいの最高級のラケットで、誰かが怒られラケットが折れてしまうと他の部員たちまで全員反省した。
怒られるのも悲しいが、なによりラケットがかわいそうだったから。
ぼくたちはみなラケットを愛していたんだ。

夢を見る。
ときおり金縛りとなり苦しくなって目が覚める。
あー、こわい夢だったー。

でもまた監督の話が聴けた。
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2011年07月22日

コーチえのもと(12)

コーチえのもとはダブリュー(1年生、2年生とも県大会で団体優勝すること)を達成すると、帰りのマイクロバス(加治木のレンタカー屋で借りてた)を道の途中で突然とめて、ぼくたちを降ろした。

なんだろう。
そこは人気のないビーチだった。

砂浜があった。茜色の海には波はほとんどない。鹿児島にはそういうプライベートなビーチがたくさんある。


そこでぼくらはテニスシャツの上着を脱いで、泳いだり浮かんだり笑ったり泣いたり水をかけあったりした。コーチえのもとは少し高いところからいつものようにタバコをもくもくとさせてみんなの方を見ていた。


ヴォクは風呂か温泉にでも浸かるような感じで砂浜近くの浅瀬でまったりと静かに浮かんでた。太陽はほとんど沈み顔も見えないくらいになっていたが海水はまだ少しだけあたたかい。遊泳時間はものの10分か15分くらいだったろうか。海水を滴らせたままヴォクたちはバスに戻った。



「いない人は手を上げろ。
隣はおるか?
よし、帰っど。」



それがヴォクにとっての優勝の塩の記憶。



マイクロバスにはマイクがついてた。
ヴォクは頭の中で、マイクがついててコーチえのもとがたまに話すからマイコーバスというのだなーなどと考えながらまたうとうととしていた。

ヨネックスのレックスキングソフト17と中学生のぼくたちを乗せた、コーチえのもとの運転するバスは小さくて狭くてよく揺れてすぐに眠くなった。
posted by ヒカリ at 02:22| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月28日

コーチ・えのもと(11)〜月桂樹〜

禁句をついはっしてしまう。
体調があとから悪くなったりするのも無関係ではなさそう。

でも仕方がないから禁句と思わないことにしようかな。

先日はこの塾を開いてはじめて「俺が言ってることわかんないの?」と普段は使わない一人称を使ってドナルドダックだった。大人気ない、おとなげない。

世界で一番長い英単語はなあに?の答えをいつも心に、生きよう、うん。

ところでヴォクがそれを禁句というのはそれを発すると実際に会えなくなるから。塾とはそういうところである以上、その言葉だけは発さないようにと心がけてはいるのだけれど(効果なし)。

コーチえのもと(中学時代の部活のくそ鬼監督)はすごかったなぁ。
「俺は半端はひとっちゃ好かん」といつも言っていたが「半端にするならやめろ!」とは一度も言わなかった。

逆にサボっても休んでもどこかに隠れてもローレルに乗って捜しに来た。なんで居場所がわかったのだろう。
20年以上昔の車にはGPS機能がついていたのだろうか。


(smiles、その英単語のつづりは距離にして1 mileあるらしい。)


ヴォクは社会人一年目、夏のボーナスで車を買った。
それが日産の、あの箱型の車だったことは言うまでもない。
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2010年09月18日

コーチえのもと

コーチえのもとはテニス初心者だった。独学でテニスを本に学び、自分の学んで体得したことをそのままヴォクらにためした。たまに棒読みしてたし。


彼の指導法は初心者のヴォクらにとってわかりやすいものだった。今思えば、コーチえのもと自身が独学で理解したことの中から少しずつ、そのエッセンスを強調して伝えてくれていたんじゃないか。

彼はテニス部に来る前に卓球部を県大会優勝させ、そして翌年からきたテニス部でヴォクらを優勝チームにした。
卓球もテニスも彼自身、一からのスタートだったし50の御年で、そもそも彼はテニスが下手だった。でも彼は練習の球出しの鬼だった。独自の振り方から繰り出されるその変化球はドライブがかからぬナックルボールで、ヴォクらをひどく苦しめた。

そうしてヴォクたちは言葉を通してテニスを理解しようとし、彼の繰り出す球を打ちながらイレギュラーなめちゃくちゃ回転に対応する術を学んだ。

俺はテニスが上手くない。お前たちは小学校時代にテニス未経験の素人部員だ。この中に天才は二人しかおらん。それでも練習して団体戦で優勝しようじゃないか。俺は半端はひとっちゃ好かん。

彼の話は毎日大体同じようなものでぼくらはお経のように暗唱していて、帰り道には彼のモノマネしながら暗がりをおしゃべりして家路に向かった。

(555字 つづく)
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2010年09月12日

卒業の日まで

コーチ・えのもとは365かける2回、ぼくらにテニスで教え、中2の終わり、転校で突然いなくなった。

盆も正月も雨の日も晴れの日も一緒にいたのに、たかだか転校で2度と会わなくなるだなんて。

コーチ・えのもとの転勤がなかったとしても国体までか卒業までで終わりだっただろうけれど。


30になればわかるからやりなさい!

毎日のように説教し続けた彼の言葉が今でも色々のときにヴォクに話しかけてくる。
あのときの言葉のまま、自分だけベンチに座りぼくらは30分立ちどおしで。アイモカワラズ暗闇から低い声で一方的にはなしかけてくる。

ああ、説教していた意味はそういうことだったか。30になっても35になっても説教を続けるためだったのか。

説教はボールがみえなくなると毎日あった。最高に無駄な時間だとばかり思っていたのだが。
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