2016年10月22日

中間試験のはざまで

中間試験シーズンで試験前、試験中、試験後になっている。試験の前後なのでシーズンといえばそれでよろしい。

試験が終わっても終わらなくてもやることはとくに変わらない。
パワーをつけたいから練習する。
上手くなりたいから練習する。

試験が終わるとコメントをいただいている。
メールでもよし、授業中でもよし、紙でもなんでもいい。

ある子が紙に書いてくれた。
少し前にこういうことを書いてくれた子だ。
あのとき以来ヴォクはこの子に、「あ、またメモとってないじゃん!!」と約30回くらい言っている。
語尾を柔らかくしたくて横浜弁を入れたり名古屋弁を織り交ぜたりしながらも同じことをずっと言っている。
人がせっかくミスしないための呪文を言っているのに聞き流すとはどういうことか。
全部録音しているのかい?(録音装置付きのOK Googleマシンを見せながら)


今回は珍しく△と×をつけていない。
入試も学校の試験も同じことだが練習でできないことが試験でできるはずがない。
それから試験というのはケアレスをしないことを数値化しているのであってケアレスを防ぐことを練習中から意識していなければならない。
意識にのぼらせるには難しいところをただ何回も繰り返すだけでなくその時間を縮めるために創意工夫をしなくてはならない。

電位をVと置くか、電荷をQと置くのか。

音源が動いているのか観測者が動いているのか。

質量が一定なのか体積が一定なのか。

などと気をつけるべき点を唱えながら間違えないように呼びかける必要がある。
練習中には自分への呼びかけ方まで含めて考える必要がある。

同じミスを繰り返すのは練習がなっていないからだ。
スローガンを立てていないからだ。
自分へ呼びかける言葉を作っていないからだ。
おまじないの言葉を知らずにおまじないをとなえられないのと同じくミスしないための言葉なしにミスがなくなるわけがない。
そういう話をしたかな。録音しているわけではないのであまり覚えてはいないが。
でも今回はもうこの子はメモをとっていた。
逆に「ここはオフレコ」とヴォクが言わないといけない必要が生じている。

この子ばかりなんとなくいまここに書きたくなったのは振り返りをきちんとしていたからだ。
文字に気持ちがのっている。
許されるなら常にこんな気持ちのこもった文字を書きたい。

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plus 本の独学がなぜよい勉強法なのか?
参考書で独学するのが効果的になる理由を3つに絞って書く。
1、著者に質問できないから自力で考える。考える帽子を身につけられるようになる。

2、日本一いいと思う本、日本一すきと思える著者の考え・スキル・技術を学ぶことができる。何をもって日本一と思うかは人それぞれである。理由はさておき好きな人、尊敬する師匠にコーチについてもらえる、弟子になれる?ということのメリットは計り知れない。たとえば化学の参考書だけでも200冊以上、よい参考書問題集がある。その中で一番いい本で学べる。

3、入試に効く参考書や問題集は入試に必要な内容をもれなく掲載している。
風邪で不調で伝わりにくい授業になったり時間OVERで残りは自習しといてください、なんてことにならない。
そもそも全部自習が前提、学習のすべてが読者次第になっている参考書や問題集の場合、やるべき(と読者と著者が信じている)ことがもう本を手にした瞬間につまっている。

ほなね。

posted by 花波 ヒカリ at 13:35| 浦和、浦和一女、大宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする