2015年04月24日

小学生が定期試験のテスト範囲を送ってくれて plus チェリーセージ黄色イエロー と薄いピンク



赤いマリオと緑の・・・ヴォクです。

gmailがきた。
シラバスでは見えなかったテスト範囲がいろいろ書いてあるので念頭におこう。

小学生だと思っていた子が実際には中学生で、中学生だったはずの子が実際には高校生だった。
なかなか慣れない。

セミナー化学、ハイスコープ数学、4STEP数学、サクシード数学、物理のエッセンス(浦和高校)。
問題集の名前を見ると、でもたしかに学校と学年が変わっていることを確信する。

仕込みに専念しよう。
書店で教科書ガイドを見るたびに思うのだが、日本の教科書は解答解説が薄い。

こたえのない問題集で勉強するくらいなら解説の厚い参考書ではじめから勉強した方がよいという状態がもう何十年も続いている。

格差が生まれるわけだ。
結局、解答解説はあった方がいいに決まっている。
わからないところだけ書店で立ち読み座り読み、隣接のタリーズで持ち込み読みしていてもキリがない。

でも立ち読みしていると早く内容を消化したくて集中モードに入るので頭に入りやすいというのはある。
って、話が変わってるから!

副教材として傍用問題集があり、一般にその解答解説は詳しくないということはない。
仕方がないのでそこを活用するところがはじめの一歩だ。

たしか昔から、傍用問題集のことは何回か書いている気がする。
はじめの頃の記事はこれかな。
傍用問題集をなめんじゃねぇ!(1)

plus 卒業した子が体験記(のようなもの)を書いてメールしてくださった。ブログに載せてくださいということでしたのでそのままコピペ。
光先生には高3の大学入試直前まで10年近くご指導いただきました。
途中から理転したため物理と数学はほとんど独学になりましたが、参考書と問題集は昭和時代のものも含めて最高の参考書ばかりを厳選して繰り返し解くことで問題数がさほど多くなくかける時間がそこまで多くなくとも難問に通用する実力が身につきました。とくに光先生がおっしゃった「良問をとことん納得できるまで繰り返せ」は私の学習法の礎になっています。実際昭和時代に出版されている物理の参考書は学校の誰も使っていないと思いますしアマゾンなどでも売っていないようなのですが光先生にお借りしたままボロボロになっても繰り返し解きました。先生は卒業生からの古書だけでなく神田の古書店やネットで仕入れていらっしゃるらしく、その貴重な参考書が本棚にいっぱい並んでいました。同じ古本でも5冊くらい並んでいるとまったく希少に見えないのですがパソコンで検索すると高価な本が多かったようです。何が申したいのかと言えば、光先生は本当に参考書にお詳しいということです。
授業はどうしてもわからなくなったら質問するというスタイルでしたが先生が手書きで数式を書いてくださりなんでこんなに簡単なことに気づかなかったのかと悔しい思いをしたことは数えきれません。
どうしてそういう現象が起きるのか理由はないのだと思っていたような現象でも光先生は数式で記述してくださるので目から鱗でした。
数学のほとんどを物理の道具として使えるのが楽しくて物理にはまりました。
受験校の過去問は光先生から30年分をいただいて取り組みました。市販されていない問題をいただけたのがありがたかったので大切に解きました。
短いですがそれが私の光塾生として独学で合格を勝ち取るまでの流れです。
医学部でもがんばって独学します。光先生に教えていただいた勉強法は私の宝物です。先生にいただいた木のペンとこの勉強法で闘います。
ありがとうございました。


plus 庭に咲いたチェリーセージ黄色
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薄い感じがたまらないのは薄い桃の方もだ。
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ローズマリーとチェリーセージが好きで庭にはそれしかない。ただローズマリーもチェリーセージもいろいろな品種があってさらには突然変異種も時々発生するのでヴォクの中ではこの2種で満足している。

とくに突然変異が多いのは桃白のチェリーセージと橙白のチェリーセージ。
赤になったり薄桃になったり紅白になったりグラデーションになったり気候条件次第でいろんな花を咲かせる。
このーきなんのききになるきになるはなー
みたことないはなですから
みたこともーーーーないーーーー
はなーがさいている。

趣味の木のペンも。
毎日使うシャーペンは何よりも大切にしている。
何よりもといってももちろん生き物は除く物質的な(あくまで物質的な)道具の中でということだが、ヴォクの生活スタイル上、シャーペンは相棒なのでそれはそれはもう溺愛している。
なでなで書き書き。書くとこの木軸のシャーペンは音楽を奏でる。
高校生になっても大学生になっても普段絶対に鉛筆しか使わずシャーペンを決して使うことのないIくんの気持ちがわかる気がする。彼はピア二ストで音にこだわりをもっている。

それくらい木軸は書くときの音を響かせる。
このペンはシャーペンだがいい音を出す。
色も音も、波動のことなどできれば何も考えず、ただただこの木のペン自体を味わいたい。

書くために書く、書くという行為が目的であって書く中味はどうでもよくなってしまいそうな、
それくらいすてきなすてきなペン。
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posted by ヒカリ at 23:32| 赤いマリオと緑のルイージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

足音 シラバスと年間行事予定をペースメーカーに独学する


子どもがシラバスを持ってきてくれた。詳しくくわしくいつ何を学習するかが書かれている最高の配布物だ。
手書きのメモ(貴重)や蛍光ペンには、どんな意味が込められているだろう。それを自分なりに考えながら1年間を過ごすことにしよう。

3月にこの子が言った。「高校は◯◯に行きたいです。」
小学生の小さな頃から何年も一緒に勉強してきて、はじめて聞いた目標の言葉。
「わかりました。覚えました。」

シラバスがあれば進度を念頭において勝手に自学自習できる。

行事年間予定があれば期限を間違うこともない。

問題集は入門書inputと実践書outputがあればそれでいい。
一問一答、図説、教科書(解答例も音声CDもついていないので教科書は使いにくい)、何でも書いてある百科事典のような参考書があればさらにいい。

中間試験で出題される問題はいまもう手元にあるわけだ。理科はどこから扱うのか、物理か、化学か、生物か、地学か、地理と歴史の順番はどうなのか。

子どもの部活動の見学が雨で流れて、仮入部が先となり見学会を兼ねるということになったらしい。

見学という語の文字通りの意味はぼーと立ち見して眺めることだ。
ヴォクは吹奏楽部に入ったが、女子30人の中で男子1人だった。

3ヶ月はなんとなくたえたが、ある日、自主練と称してトランペットを手に外へ出た。そのまま声につられて庭球場に足が動いた。ポンポンと高音がここちよく、それはまるで最高級の楽器のそれのようだった。テニス部を眺めていた。

友達がラケットを貸してくれたのでペットをおいて、ラケットを手にやわらかいボールをポンポンとしていたらコーチえのもとがヴォクの方を睨みつけていた。部員でないヴォクが邪魔者に見えたのかな。走る緊張感。

あの瞬間だ。ヴィクの運命が変わった。
この部活動に入れば毎日この音が聴ける。
翌日音楽室に行き、退部の希望を伝えその足でコーチえのもとのいる職員室へ行った。

どんな会話をしたのか記憶がないのだが、コーチえのもとはタバコを吸いながら無言で入部の許可をくれた。

やせのもやし体質のヴォクが戦力になることはない。
それでも入部できたのは一体なぜだったのだろう。

テニスのシューズがなかったので、姶良の靴流通センターで一番安いシューズを買った。

子どもに話を戻そうにも、何から聞けばいいのかわからない。
部活、委員会、部活動、行事、部。委員になった人は自分で手を挙げてなったのか、指名されたり投票されたりしてなったのか。

いつかまた聞くことにしよう。

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posted by ヒカリ at 06:25| ミスチル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

今夜はカレーだよ(1)

中学生になっても(小学生でも同じだが)親が子に勉強を手取り足取り教えることには、ヴォクは個人的に反対の立場である。いつか独りでできるようにならなければいつまでも独りでできるようにならない。子どもは生来自分で学びたがっているかもしれない。


勉強開始の笛を吹くのは本人、勉強をやめるのも本人ではないのだろうか。学習は試行錯誤の積み重ねを通してはじめて身につく。間違えないと覚えない。失敗の経験が次の成長のバネとなる。間違えてわからなくてころんでもつまづいても、自分なりにやり方を工夫してなんとかする、というのが学習の本質なんじゃないか。 かわいい子には旅をさせよ、という言葉もある。


一緒に勉強して答えを教えるのは親や指導者がやってはならぬことのうちの一つ目である。質問されたときでさえ答えまで与える必要性はない。逆になぜ独りで考えないのか、なぜ調べないのか、なぜ思考停止状態なのかと疑問視しなければならない。

「夕焼けはなぜ茜色なの?」「だよね。不思議だよね。知りたいよね。」

「野菜ジュースと野菜は何が違うの? 野菜をミキサーでくだいたのが野菜ジュースなんだよね?」「うーん、それは私も知りたい、知りたい。」

「どうして季節の変化があるの?どうしていちごは冬や春にいちごになるの?」「を!ゴイスだね。わかったら教えてね。」

「漢方薬は草でできているの?その草は中国でとれるものなの?それとも日本でとれる草なの?漢方薬と普通の薬はどこが違うの?」「きたー。それ、すごく気になっていたの。」

「この問題がわからない。」「いい問題だなぁー。そういう大事なことは自分でなんとかしなさい。」




わからないのは構わない。「でも、全然自分の頭で考えてないよね?」


小学生(ときには中学生)のうちは親が教えていても見かけの結果(偏差値など)はわるくならないだけに問題はさらに深刻化する。

「今夜のご飯はなに?」「今夜はカレーだよ」

「今日はなにをしたらいいの?」「今日は算数からやるぞ!」


親が子に教えたから学力が伸びたのだと親も安心する。子も親の満足そうな笑みを見てそのときは喜んでいる。でもセルフラーニング値が上がっていない。それどころか長い目で見て確実に下がってしまうこともありえる。子は親の指示に従うことしかできていない。親が言ったことしか学べなくなってきた。親がはじめ!というまで本を開くこともない。後から始めの合図があるだろうから今のうちに休憩しておこ、っと。


「あしたはなにを勉強するの?」「今夜の勉強はなあに?」「ぼくはどうしたらいいの?」


中学生になる。…(紙面の都合で中略)…セルフラーニング値は上がっただろうか。


高校生になる。親のスパルタで第一希望の高校に入ることができた。高校では勉強したいことの分量が中学の六倍くらいになる。
「もう高校生なんだからひとりでやりなさい。」「いまさらひとりじゃできないよ。」
それを全部また親が子に教えるというのだろうか。親が一晩中予習しても英数国だけでも普通は間に合わないだろう。それに子供は部活動で家にいなくて一緒に勉強する時間もない。なにしろセルフラーニング値があまり上がってない。


大学生になる。専門書を与えられる。それをまた親が子に教えるというのだろうか。
「今夜のご飯はカレーだよ。その後、今夜の勉強は論理学だよ。」
posted by ヒカリ at 06:12 | TrackBack(0) | 今夜はカレーだよ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする