2014年05月28日

イメージ図書からはじめなきゃ(1)

久しぶりにイメージ図書の話。

難しいものをやっているのはどこかかっこいい?
たしかにぃ。
難しい問題集をやっているとその分野のツウみたいでかっこよかったりする。雰囲気が大切なのである。


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(チェリーセージの花にはどこか小鳥の雰囲気がある。そんなにヴォクをみつめないで。)


でもね、初学者がいきなり難しい問題集を?
なんで?
最終的にどこまで到達しているのかということと、はじめどこからスタートするかは別問題。

難しい本とかっこよく格闘してるはずが、難しい問題集とにらめっこが進んでる。

10題やって1題解けそう。
脳がとけそう。(失礼)

自力丸がつかないならもうプライドを捨てかんたんな本を探してそれからはじめよう。

はじめるのにかんたんすぎることはない
(詠み人 ヴォク)

絵のいっぱいついた本が書店にある。
歴史まんがのついた歴史の本は有名だね。
わかりやすいし記憶にダイレクト。
歴史だけじゃなくて全教科あるよ。
市販されているよ。

イメージや漫画は脳内にイメージの核を形成してくれる。
難しい問題群と格闘するはイメージができたその後がいい。

漫画っていいよなー。まんがって感動するよなー。
たのしい、引きずりこまれるうちにいつの間にか内容が頭に入るという。

まぁ漫画読んで困ることと言えば挿絵に見とれて、「にやぁー」としてるところを人に見られたときにはずいことくらいなわけ。
ちょっとはずいだけよ。
そんなときは「みたなーっ?」て言えばよろしい(ニヤリ)

それでも漫画。
漫画ってやっぱおもろいじゃん。
な!?
マンガはイメージどかーんだ!

10冊書店で見て漫画の載ったいい説明書がなかったらもっと大きい書店でもう20冊見てみるといい。

漫画やイメージの本は必ずある。
見開き1ページが1分から5分で読める。

見開き1ページでひとつのテーマになっているから5分で1テーマのイメージが持てる。挿絵だけかと思いきや説明書きは十分にツボをおさえている。
ぐぐーって。

これならもう自力でできそう。
って、そう思えるようになったのはマンガや挿絵のおかげでイメージを共有することができたからなんだね。

イメージ図書というのは独学者の初学者にとって必要な図書であって、そこをきっと「ホーム」にしたらいい。

イメージなのではじめに書店で読んでみてビビっとくるのを選んだらいい。
ビビビのビってきたら、まちがいない。

本屋で5分読んで感じるところがなかったならその本ではまだだめだ。次いってみよー。

本当のイメージ図書ならその5分であなたに訴えるだけのインパクトをもっている。

もう、出会えただろうか。
イメージ図書に。

教科書をよく読んで疑問点はすぐに調べる、それが学問の基本であることは間違いないが教科書の意味さえ伝わってこない仕方のないスタート期は、もうプライドなんてかなぐり捨ててイメージ図書に突っ走れ。

そういうイメージの本は本当にあるんだ。

一方で教科書は学校で使うものだから個性的には作られていない。
教科書には無駄が一切ない。

教科書じゃあ、興味がわきにくいっていう初学段階ではもうイメージ図書からはじめてみるの。

厳密さを犠牲にしてでもあなたにイメージをダイレクトにインパクトをこめて伝えようと必死な絵本。

そういうところをホームにしたっていい。
難しいことならいくらでも後からやったらいいじゃない?

難しいことを簡単に伝えるのは実際に難しい。
そこをなんとか工夫に工夫を凝らして、届けようって、言ってる絵本(まんが 挿し絵 写真 図 グラフがいっぱいの本)がいっぱいあるの。
そして同じ、図が載ってるでも、
図がデカくてキレイなのがいい。

図がデカくてキレイ
なのがあるの。
見やすいはわかりやすいにつながっているんだ。
猫や犬まで登場していたらもう本物だ。



ほなね。はなね。ほなはなね。

(いつものように挨拶の後になんか書く。)

イメ図書は各教科、たくさんありすぎるので、例、あくまで例。(じゃ、あんたもブログでなくて漫画で書けばいいのに!(いや、ヴォクは絵はねー、絵はなー。・・・テニスボール拾いならうまいんだけどねー。))

こないだの「ほんわか」

NHKの例の講座。

サッカー キング カズ の召集はあるのか。
優勝を狙うW杯日本代表のゴールデンメンバーサプライズ選出の噂が飛び交う中、庭のゴールデンマーガレットが花をつけた。
黄色い花をつけた。風にも負けず雨にも負けず、ジャーマンカモミール、ローマンカモミールと咲きほこる。
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小学生中学生高校生と独学

去年中3だった子たち(現高1生)が中間試験を迎えている。
高校生たちには、小学生の頃から独学の必要性をコンコンと指導してきた。約束と原則を守ってきた子たちで高校生になった今でも大学入試へ向けて、そのまま塾に来ている。

質問がほとんどなく過去1ヶ月で、全員合わせて質問メールは物理の1問のみだった。


意地でも自学自習しようとしているのだろう。

質問をしても「本をよく読んで」としか答えないことが続いたので質問する気がしなくなったのだろうか。

入試の勉強は結局自分でやるしかない。
そのことが伝わっているとしたらこれでいいのだ。

ノートやメモ帳を見る限り難しい問題がいくつも見えた。
今回も確認テストなしでやってきた。

高校生ともなれば確認くらい自分でできるようでないと話にならない。
そのことに高校生たちには早く気がついてほしくて、百問百答もなければ毎週何十枚もあった確認テストもない。

試験対策の勉強は結局自分でやるしかない。


「授業を受けるだけでは成績=点数が上がらない」=「学校・塾・予備校だけでは結果がついてこない」。
なぜならわかった気になっても自分で練習して自分なりの仕方でマスターしなければ自分の身にならず「問題が解ける」状態にまでならないから。

もちろん、先生・師・コーチに「やり方」を習って、それで上達する部分は大きい。しかし、授業は「勉強法の伝達や原理原則の導入が中心」なので受験で必要になる範囲を、学校・塾・予備校ですべてカバーするのは無理。授業を受けるのを「スピード1」とすれば、自学自習は「スピード20」ぐらい。自分でやった方が、早い。試験範囲は広いのでどんどん進まないと終わらない。

「自分でやってみる」というのが基本となる。

自分でやってみてわからないときに質問するべき存在がいればいい。


ヴォクがさっき検索ワードを調べたら、写真、「貴乃花」というのが上位にあった。しかもそれが「青ボールペン」よりも「定期試験学年一位」よりも上にあるって。珍しいところでは「東大を目指す公立中学3年生の参考書」というのがあった。中学のカリキュラムでは原理原則がきちんと理科で出てこないのでそこは通過するのがよい。
高校の物理化学生物地学をやった方がつながる。

数学も数学1A程度はなるべく早く終えておいた方がよい。1Aでは整数、確率、幾何、三角比といった重要単元が出てくるので数学力を鍛えられるだろう。

数学1Aの問題をいっぱい出す私学の入試対策にもなる。二次関数と直線の式だけでもやっておけば高校入試の関数が楽勝になる。
中学範囲のテクニックにこだわってとどまるよりは一度高校数学をやってしまったほうが実力がつく。

英語では高校の英文法までやっておけば比較的難しくなる準1級以上に挑戦しやすくなる。
日本では英文法を中1、2、3と高1で学ぶことになっているわけだが、4年に分ける必要性がない。
1、2年程度でやって文法の全体像を見たほうがいい。

国立大は5教科勝負で、理科と社会に時間をかけないと仕上がらない。
そういうこともあるので数英はどんなに予習しておいてもしすぎということはない。







2014年05月20日

試験用紙の重さ

きょうは庭のセージがいい花をつけていた。毎年毎日?花がつくと写真をとっているが、ブログ「花の匂い」は振り返ることが検索からできるので便利だ。
ヴォクと貴乃花とのうどん会写真とか花の写真とか結構何でも出てくる。
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(横から見てもやっぱり飛んでる。パタパタパターと小ヅルのようだ。)


きょうはテスト用紙と答案用紙を持ってきている子が多かった。

コピーはしないが見せてもらっている。
重い紙だ。

そこにはどう備えたか過去のことが書かれていて、

その紙には何点とったかの現在地も書かれていて、

目標校の入試で必要な点と逆算して未来も垣間見ることができる。

薄いのに重い紙だ。


余裕があってお釣りが出るくらいまで学力を高めておけば進路選びにも余裕が生まれる。

逆に成績がギリギリであると自信がなくなり期限や周りの声など偶発的な要素に流されて動きやすくなってしまう。

自分の声に耳を傾けよというのは簡単だがその前に、結果を出しておく必要がある。

進路を選ぶ重要な時期にさしかかった。
決めてしまう前に結果を出しておかねばならない。

結果を出すために改良あるのみ。
そして実行あるのみだ。

きょうは小学生に暗記の話をした。
何でも覚えている人がいる。
すごいなと思う。

定期試験の前に確認テストをしていると200問、300問くらい書いても満点という子がいる。

たとえばチェリーセージが好きでチェリーセージが趣味なんだという人はチェリーセージについて色々調べてチェリーセージのことをいろいろ試してたくさんのチェリーセージを見に行って、自分のチェリーセージを角度を変え向きを変えて何度もなんども眺めて、チェリーセージをいろんなところに寄せ植えして、ときにはチェリーセージを植え替えして、根を見て茎を見て葉を見て花を見て、何度もチェリーセージに話しかけるうちにチェリーセージについて詳しくなっていくんだろう。
チェリーセージについて200問、300問くらい聞かれたところで全部答えてしまうことがあったって何ら不思議なことではない。
だって彼はチェリーセージが好きなのだから。

(ローズマリーの花言葉の方が「記憶」だったからローズマリーで書けばよかったのだけれど、ローズマリーは春に植えたばかりでほとんど何も知らない。つい最近、立性だけでなく立性、半立性、匍匐性の3系統があることを知ったくらい。
でも何も知らないというのもどうなるか予測ができなくて面白いもんだ。立性のローズマリーでグリーンカーテン「花と緑のカーテン」や「気球みたいにでかくてまんまるのローズマリー」をつくりたいなぁと思ってちょこちょこ育つのを見ていたら先日ある方のブログですばらしいお写真を見つけた。
謎の植物に飲み込まれてしまうお写真なので目をつむってクリックしうっすらチラ見でお願いします。
許されるならヴォクもこういう髪型にしてみたい。てかカーテンは逆にほふく性、そっちか。)

ほなね、はなね、はなひかり。
あ、アリオ上尾の隣のハーブガーデン?のローズとハーブのラインナップにはぶったまげた。
これはもうハーブと薔薇のちょっとした植物園としか言いようがない。様々だ。

大宮の花の丘公園(大学2年になるM3から教えてもらって行ったところ)、伊奈の薔薇園(伊奈町町制施行記念公園、大学3年のFさんのお気にスポット)に続く衝撃だった。
アンガールズやニッチェなどいろんな芸人さんががふらっと来るアリオ上尾もすごいがこのハーブ園みたいなお店もゴイスー。

でも無料で人のネタを見るのはどこかしっくりこない。
やっぱりプロの芸には御礼が必要な気がする。
でもそしたらふらーと行っても予約してないお前に見せる芸はねえ!となるわけで。
この辺がアンバーランズ(なんとなくアンガールズっぽく)。

ヴォクの好きなセージだけでも、
コモンセージ
メキシカンブッシュセージ
パイナップルセージ
フルーツセージ
チェリーセージ
ラベンダーセージ
ペインテッドセージ
クラリーセージ
ホワイトチェリーセージ
パープルセージ
メドウセージ
があった気がする・・・(うろ覚え)

ゴイスーなお店は、こちら。ホーマック隣ホーマックローゼンハーブ上尾店

そして千原セージはアリオには来ていなかった(お決まりで)。


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店内ではマリアンさんみたいな、薔薇好きな方が熱心に何周もしながらつぶやきながら花に見入っている。カメラを持つその熱い姿勢に圧倒される。
机を離れたところでいかに学習するかを最近考えていたら桜島の遠藤さんがまたゴイスなことをインタビューで語っていた。

コピーして貼り付けよう。以下は全文引用。(ゲキサカより)

―日常生活で練習できるのですか?
「いっぱいあると思いますよ。例えば、レジとかもそうですし」

―レジ?
「スーパーとかに行って、早く帰りたいとき、ほとんどの人は並んでいる人が少ない列に行くじゃないですか? 4人並んでいる列と3人並んでいる列があれば、3人のほうが早いと思いますよね。でも、それは人数を数えているだけで、そのカゴに入れている中身まで見れば、5人並んでいようが、3人の列より早いときがあります。あとは、レジの人も見ますね。ベテランの店員の方だとカゴに入れるのも早いし、計算もパパッとやる。でも、それが研修生だったりすると時間がかかる。そういうのを確認して、感性を磨くのは楽しいと思います」



コーチ・えのもと(15)

子どもが先生を見つめている。
じっと見つめてる。

ときおり子どもたちは、はい、と声を揃えて返事をしている。
壁から半分顔を出して覗くものがいても、
カラスがかあかあ猫がにゃあにゃあとないても、

子どもが先生を見つめている。
先生は何かを話してる。
手振り身振りで何かを伝えている。

それはまるで耳元でささやいているような、
それはまるで糸電話でなにかの意図を伝えているような。

子どもの顔は20度くらい仰いだ先の先生の顔を向いたきりだ。
動かずに。

いや先生の動きに合わせて首と目だけが動いてる。
両の手先はピンと気をつけいをしたまま。

じっと耳をすましている。
あー、コーチえのもとがここにいるよ。

あわててヴォクも夢の中のコーチえのもとに耳をすます。


浅山はテニスが下手や。
浅山には才能がない。
でも朝、コートにきてひとりで練習しとる。

いちばん早くきて練習しとる。
うまくなってる。
フォームが固まってきとる。

浅山は一軍の3番手になろうと必死や。
浅山はうまくなってきとる。
練習のプロや。
練習ではうまい。

いーか、おまえたちは浅山になれ。
浅山の練習をみろ。
浅山はいちばんにきて壁打ちをしとる。

きこえてきた。
ありがとう、ありがとう。
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コーチえのもと(15-1)
コーチえのもとは練習後にいつも話をしてくれた。
あんなに長々と毎日話したいことがよくあるものだなと今になって思う。
家族が子どもに話すよりもひょっとしてもっとたくさんのいろんな話をしてくれたんだ。
逆にぼくらはコーチえのもとのことをほとんど何も知らなかった。
コーチえのもとは家族と過ごす時間をつぶしてぼくたちの練習を見ていてくれる、そのことが不思議でならなかった。
盆も正月もなかった。
ただ雨の日だけはコーチえのもとはコートにこなかった。
雨が好きになったのはあの頃からかもしれない。
あー、きょうは遊べると考えたものだった。

かつて全国大会に陸上で出場した卒塾生(現大学生)がヴォクに話してくれたことがあった。
「練習をがんばったのはコーチのためです」と。

ぼくたちもほとんど同じような気持ちだったかもしれない。
テニスをがんばることがテニスでないところで絶対に役立つ。
お前たちは今はテニスをやっちょっが、大人になったらテニスなんかせんやろう。
でもいまやってるテニスの中に将来勉強をして仕事をするときにつながっていくものがある。
30になったらわかるからとにかく誰よりも練習をしなさい。
一球に気持ちを入れなさい。
中途半端に打ったらいかん、俺は半端はひとっちゃすかん。
誰かが倒れるまで1セットの練習は回すから倒れるまでやれ、俺が水をかけて起こすから心配はいらん。

そして倒れるのはだいたいのところ、ヴォクだった。速さについていけずに足がからまってずっこけるだけで倒れるといっても気を失ったわけではなかった。

もともと吹奏楽部で運動はからきし苦手、運動会が何より嫌い、足も極めて遅かったヴォクは部員の中に男子が一人しかいなかったことになぜだかたえかねて仕方なしに三ヶ月遅れでテニス部に入部した。友達がいたからというただそれだけの理由だった。

「お願いします」と入部届けをもっていったときもコーチえのもとは何も言わずにただ用紙を受け取っただけだった。まさか鉛筆で名前を書いただけのあの紙切れ一枚がその後のヴォクの人生にここまでの影響をもたらすだなんて思いもしなかった。

その後部活引退まで直接お話をしたことというのは一度もなかった。
説教を聞きちょっとした返事をするくらいはあったけれど。

夏休みは太陽よりも長くぼくらはコートの上にいた。
太陽が出る前に家を出てボールが見えなくなったらコート整備をした。

太陽が基準の練習時間だったので物理的な限界まで練習をすることができた。できることは全部やったと思いながら帰る日々が続いた。
これが充実でなくて他のどこに充実があるのだろう、あーきょうはテニスを倒れるくらいやった。
コートにライトが整備されていなかったこと、体育館にコートがなかったことが練習に区切りをもたらした。

太陽の出ている決まった時間しか練習ができないということ、雨の日はコートが痛むので練習をすることは許されないということを知った。
限界があったので限界のところちょうどまでテニスをすることができた。

これは1日に終わりがあること、天気に従うしかないこと、制限の中でベストの練習をすることをぼくらに教えてくれたんだ。

ゲイキン(くじらのガット)はまた雨に弱かった。
雨が降るとボールははねにくくなる。いつもの練習は中止になった。
体育館の中でやると膝を痛めるので試合は野外で行うのが基本だった。

天気とは天の気分なのかもしれない。
でもその天の気分のおかげでぼくらは限界のところまではやるということの意味を知った。
恵まれた村の生活をしている中学生達にとって限界を教えてくれるものなど他になかった。

部活動と天気のおかげで、限られた時間いっぱい(そう、時間はいつだって限られている)は必死にやるという動きをぼくらは身につけた。






posted by ヒカリ at 08:32| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

チャート、体系数学

学校指定の数学の問題集がよくない子がいたので捨てるように伝えた。
学校のやり方もここまでやってみての判断。

公式一つひとつの導出さえできないうちに何問の難問を解いたって力などつかない。

最後は自分で決めるべき。
イメージ図書、教科書と動画、基礎講座、iPad、もなにもかも揃っている今の時代に学校指定のものに拘る必要はない。

生まれ変わっても読みたい本を探せと伝えた。
同じ単元の問題だけでも最低10冊は比べてみたらいい。

どの参考書が公式の導出や定義に厳密なのか。
どの参考書がよくある誤答例やFAQを記述しているのか。
どの参考書が計算過程までメモしているのか。
そしてどの参考書がそもそもなぜそう解くのかにまでせまっているのか。
解法の選択という観点はあったほうがいい。

仮にパターンを伝えるだけが目的であるのならインパクトを込めて伝える工夫を凝らした参考書を使った方がいい。
そして図がデカくてキレイなのがいい。


図がデカくてキレイ
なのがあるの。

同じ船に乗っているのだから学校指定の問題集とさよならするわけにはいかない。
しかし学校指定の問題集の方をサブにスーパーサブにして、レギュラー図書は別にあっていい。

ヴォクはそう思うとる。

ほなね。
わかりやすい本を見つけたら自分でどんどんやってみる。
それが学習の基本。

🔳︎「授業を受けるだけでは成績=点数が上がらない」=「学校・塾・予備校だけでは結果がついてこない」。
なぜならわかった気になっても自分で練習して自分なりの仕方でマスターしなければ自分の身にならず「問題が解ける」状態にまでならないから。
🔳︎もちろん、先生・師・コーチに「やり方」を習って、それで上達する部分は大きい。しかし、授業は「勉強法の伝達や原理原則の導入が中心」なので受験で必要になる範囲を、学校・塾・予備校ですべてカバーするのは無理。授業を受けるのを「スピード1」とすれば、自学自習は「スピード20」ぐらい。自分でやった方が、早い。試験範囲は広いのでどんどん進まないと終わらない。
🔳︎「自分でやってみる」というのが基本となる。
🔳︎ 自分でやってみてわからないときに質問するべき存在がいればいい。
🔳 たとえば数学のチャート式は全国の多くの高校で採用されている。同じチャート式を使っていて学力差が生まれるのはどういうわけなのか?
それは何周も繰り返して自分で考えるようになり自分の手と頭で問題が解けるようになっているかどうかの違い。集中していたら1周目から解けるときもあるだろう。
ダラダラと考えてしまうと3周目にやっとわかりかけることもあるだろう。
わからない問題は考える。
ときには白チャートや教科書の定義や導出を調べる。
そしてまた自分で考える。
そきまでやってはじめて良い参考書であるチャートが生きてき始める。
ただ解いているだけではチャートの持ち腐れというわけだ。
4STEPもチャートを解くときは自力でパッと解けるまで繰り返さないといけない。
大変だがチャートの問題と解答を覚えてしまうくらいになってはじめて入試問題が解けるようになってくる。




2014年05月13日

北辰テスト結果(2014年4月)

中3生の会場模試がかえってきた。私学在籍者の受験はなく、公立中3年生が受験していた。
小学生と一緒に勉強していたつもりがいつの間にか高校受験を迎えた。
はやい。この調子でいくのなら高校入試は、
も〜い〜くつ寝ると〜、高校入試?

浦和、大宮、一女、早稲田、お茶と志望書に書いて入ってきた子たち。
合格するための指導をしている。
結果主義と分類されようと結果にはこだわっている。コーチえのもとの教えがこびりついている。
彼は1軍も2軍も強くした。
たしかに1学年が45人かける10クラスをゆうにこえるマンモス中学校だったからチームとしては有利な方だったかもしれない。
でもそれだけで2軍まで強くはならない。
やはり、うまくなるかどうかは練習次第だ。そう信じている。

勉強以外のことまで先生には色々教えていただきました、とありがたい言葉を頂戴するよりも希望の進学先でがんばっている姿が見たい。
これまで7年間、上記の学校に不合格だった人が1人だけいる。
いつもその人の悔しさを胸に指導にあたっている。
確実に合格する方法はないが点数をたくさんとる方法はたしかにある。
量も質もそこに到達せねばならない。
今年の中3生たちの全員が一人残らず。

光塾上尾教室、今年の中3生も一昨年去年に続き難関校志望者のみで進学志望高校は、
浦和、大宮、大宮北、一女、早本、お茶となっている。
昨年は公立高校第一志望者がほとんどだったが今年はいろいろ。そこを目指すに至った理由も聞けばいろいろ。
でも早い時期に決めていて年賀状などことあるごとにその学校が書かれているのを見ると初心のパワーの偉大さを知る。
(ヴォクは卒生にしかお手紙の返事を出さない。へんなこだわり。)


全員合格へ向けて中学全単元の総復習1周回目がまもなく終わるところ。今年の傾向として社会の仕上がりが早く理科が極めて遅かった。

英語は得意な子ばかりなのだが今回はなぞの不発。「よくばり英作文」とか高校範囲を欲張ってやりすぎか。
定期試験対策同様「実力向上あるのみ」方針なので、模試の過去問は一題も授業で扱っていない。
模試や入試の形式に不慣れなうちはそういうこともあるだろう。次はもう慣れると思う。

物理について言えば、
光を何ヶ月もやっていた。(光子だけに)
浮力を何ヶ月もやってしまったのでは・・・。
まあよろしい。

個々の分析と今後の計画立案(実力錬成)は各自に任せよう。
自分のことは自分が一番よく知っている。

部活や生徒会との両立生活でここまで週の通塾日数1回ペースでやってきた。
部の子が部活を引退し週2日通塾の予定。

塾の週日数は関係ない。
勉強する順番と場所が変わり一問一答口頭試験(約100個/日)の問答回数が変わるくらい。

夏期講習会は7年連続実施しない。
合宿は実施しない。
なぜなら光子たちには自習時間を与えた方が勉強が進むから。
金もかからなく考える力を極限まで高められ暗記も進み結果成績が上がる。
一石四鳥。


もっと力をつけるには?
2000回くらい書いていると思うが書こう。

力をつけたければ自学自習すること。
力をつけたければ自分のためになる練習をすることだ。

他人があなたに説明する点はポイントが中心であり、原理原則の導出が基本である。

それをつなげ線や面にまで育てるのが自学自習である。
自分の身につくまでやるには自分だけの時間が必要だ。
そして詳しい参考書問題集には線や面も書かれている。
あなたがそこに行くか行かないか、本の記述の方はただ同じ本の同じページに印字されたままでいる。



今年の目標:
1、光子全員偏差値65以上: 4月は未達
2、光子平均偏差値70以上: 4月は未達
3、(毎回)県内順位目標(医学部と東大を希望している子3名は県内100位以内キープ)、全員達成。
4、県内1位を塾生がとること

(3が一番あてになるデータである。
私立中進学者の割合を考えると偏差値は参考程度。
一方、受験者順位は高校、大学の定員を計算すると到達段階がよくわかる。とくに県内順位は参考になる。)
4、は満点をとれば自動的に受験者内1位、埼玉県内1位になるのでバランスを壊さない範囲でもちろん狙って指導している。
こと受験勉強に関する限り大は小を兼ねる。
勉強はしすぎるということはない。


受けるからには一回いっかいが勝負。
北辰テスト上位2回の平均ではなく毎回自己ベストを狙って備えている。12月まで1点ずつでもあげてゆきたい。
3つの目標は、6月と7月までに、遅くとも9月までには届きたい。
工夫と実践あるのみ。



得点(上段が塾内)
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偏差値
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塾でわかるのは1、2の結果のみなので後は口頭で聞いている。

塾生の志望校は5年前の代(現大学2年生の代)とそっくりだ。
光子全員の同じ模試結果の平均というところに意味がある。帳票の形式も写真の通り形式は変わらない。
年度により中学受験生の数の差こそあれ母集団の層について大きな差はないので毎年の差を確認することができる。
各教科の練習成果を経年で追跡することができる。



次回の会場模試(全員受験)は6/15(日)。
自分の勉強を。
どんな勉強をしようかあれこれ考えるよりも目の前の本の1章に取り組んで格闘したほうが速い。
勉強法はどんどん変えていけばよろしい。



posted by ヒカリ at 12:19| 北辰テスト結果 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

誤答とFAQばかりが並んだ、ステキな本。

高校生が帰っていった。
きょうも高校のおもしろい話や部活の話などをたくさん聞き、少しばかりの質問を聞いた。せまい日本の中にはおもしろい高校生がたくさんいることだよー、ヴォクです。こんにち波。

独学者用の参考書や問題集というものがある。
正しいことが網羅的に並んでいる参考書がいくつかあるのはそれはそれで便利なものだが、独学者の助けになるのに必要不可欠な要素は網羅性ばかりではない。

たとえ基本的な内容であっても誤って考えられやすかったり、あるいはいくつかのひっかかりやすい盲点を含んでいたりする種々の問題点について「初学者の立場でわざと間違ってみせてくれ」それに対してあたかも家庭教師のように「どこで間違っているのかを細やかに説明する」種類の参考書問題集が独学者の助けになる。

NGにはNGたる理由がある。
誤答には誤答になった誤った考え方があるものだ。
誤りやすい事柄というものがたしかに存在する。

独学をしていて一番苦しいのはどこで間違って考えたのかがわからないことであり、疑問を持ったときに尋ねるべき相手のいないことである。

それを調べるのには膨大な時間が必要になるだろうし何日も何夜も寝かせて考えなければいけなくなってしまう。

それは独学者の思考能力の限界を引き上げるのには相当に寄与するかもしれないが、限られた期間の中で結果をも出せねばならない受験生にとって、そのような参考書問題集の存在は大きな助けとなってくれる。

ヴォクも知恵袋に返事を書くことは少なくないがかつて書いた答えが間違ったということもあった。

知恵袋のようにバラエティに富む問題点をカバーしそれでいてかつ解答案が真であるならば、仮にそういう書物が存在するとしたら独学者にとって頼もしい家庭教師になる。

たとえば、悪い解答(誤答)、普通の解答(教科書式)、よい解答というのを同時に見せる(欽ちゃんの良い子悪い子普通の子みたいな)参考書が存在する。

たとえば、誤答集、よくある質問集を並べた夢のような分厚い参考書が存在する。その本には間違いばかりがずらーと並んでいる。

教科の学習を終えた後の人が見たら、「あーここは昔つまづいたところだったな」、「を! ここは結局わからなくて暗記して逃げたところだ」などの感想が出るような問題点が並んでいる。

誤答は学習現場の中からは常時生まれているのでありながら、それらを記録した書物はあまり多くない。10個の正しい考え方よりも1つの間違った考え方の中に学習上のより大きな価値があるので、どう間違えるかの記録には一定の意味がありそれも多くの人が間違えやすいものを集めたものとなると学習効果は大きくなる。

正しいことをコンパクトにダイレクトに見せてくれる時間短縮型の効率のよい説明書は世の中に多い反面、間違っていることをなぜ間違っているかグダグダとのび太のママみたいに説教してくれる書物は少ないものだ。

5/10, 神アプリGoodreader4と並んで記念撮影した日に。6Gくらいあった本がたった3分くらいで移行するだなんて。マジックかっ!
ほなね。
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2014年05月07日

今日の高校生

きょうの高校1年生がシラバスをもってきてくれた。
「この教科だけもらえたので。」

ありがとう、ありがとう。
オーケストラはバスで音楽が走る。
バスはオイルで走る。
おいらはシラバスで走ることができる。

他にも世界史の教科書と自分で買ったという一問一答集ももってきてくれた。

ヴォクはある考えがあって高校生に参考書を買って渡さないことにしている。

古本をプレゼントしたり先輩の本を手渡しすることはあるけれど。

セルフラーニングすることになる本は自分の手で見つけて買って欲しい。

本は安くない。
それを買うことで決意が固まるきっかけにもなるだろう。

本屋で本を選ぶということがどれだけ重要か。

それから、
問題集へのしるしのつけ方で先週は月丸や花丸、納得丸に会得丸、勢い余って忍者ハットリくんの獅子丸ほかいろんな丸の話をした。
問題集のしるしにこだわりがないのはだめだ。

そしたら今週はもう個性的なしるしを問題集につけてきていた。何丸なのかまったくわからない。そもそも丸印ですらない。

勉強なのだからしるしも自分の好きなようにつけてほしい。
この子はもうそれを実行していた。

丸は解読不可能な形でどんどん種類が増えてゆくだろう。
いろんな丸ができるといいな。



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2014年05月05日

ask 人 to不定詞 の意味(きょうの小学生英語問答より)

きょうの小学生の英語レッスン、光英語の100問100答より。

光子:「この英文ですが、副詞的用法でためにと訳しても大丈夫ですか?」

花波:「するどーい。とてもおもしろいことを考えているのだね。」

以下はきょうの英文法問答をまとめたもの。


A policeman asked us to get out of the car.・・・ (*)
の文で to get out of the car するのは誰か?

これがもし(あくまでもし)、a policeman であるとしよう。
その場合、「完全文の後ろについたto不定詞の副詞的用法(すなわち in order to get out of the car と同意)である」と考え、日本語訳は「(警官が)車の外に出るために警官は私たちを招いた。」(警官が車内に閉じ込められていたような特殊な文脈で)となる。・・・(解釈1)

副詞的用法は「文の動詞を修飾する」というまさにその文法的な真実がこの解釈を行う根拠の一つであり、さらに言えば「不定詞の意味上の主語が別に示されないときは文の主語にそれを求める」という原則を別の拠り所としている。
逆に、文の主語でないもの(文の主語と異なっても不定詞の意味上の主語が一般の人であるときは書かない)が副詞的用法の不定詞の意味上の主語であるならば、例えば次のように for N をto不定詞の前につけて書かれる。
A policeman asked us for Daraemon to get out of the car.
「警官はドラえもんが車から出られるよう私たちを招いた。」
救援を頼んでいるという特殊な状況でならこういう表現もあり得る。

しかしながら、当然、こういう意味(解釈1)があり得るのは極めてまれなシーンであることを強調しておく。普通はこういう意味にはならないのである。つまり普通は(*)の英文は「Vを修飾する副詞的用法(in order toと同意)」ではないのだ。

一方、なんらの文脈なしに(*)の1文 [ask A to do] を読んだ人の最もありふれた解釈は、to get out of the car するのが us だと解釈し、「警官は我々に(我々が)車から出るように求めた。」・・・(解釈2)と考える。このように意味上の主語(車から出る人)が us だと解釈するのが一般的な(あくまで一般的な)解釈なのである。こう解釈する方がより普通であることの根拠は何であろうか。

どちらに解釈するにしても、元の英文の形はたしかに同じである。
S ask O to不定詞 以上でも以下でもない。

我々は「ask 人 to が3文型よりも5文型で使われやすい」ことを経験的に知っている。
したがって文脈なくこの英文を読んだ人はまず先に後者のように解釈するわけである。

経験値を少しだけ増やすため、同じ形で他の文を考えてみる。
The boss asked [invited] him to play golf together.
「ボスは(彼が)一緒にゴルフをするように彼を誘った。」(5文型。 to play は不定詞・形容詞用法・補語)
この invite の文をもし受身で書けば、
He was invited to play golf together.となり、いずれにしても to play golf するのは誘われた人間たる彼である。

5文型の方のS V O to不定詞 の形をとる英語の動詞はたいへん数が多い。そしてネイティブでない英語の読み手にとっても辞書を引けば載っているため大方、解釈で困るような事態を引き起こしはしないが、たしかめ法として、「結局 to 不定詞 で示された行為をするもの(意味上の主語)が文のSなのかOなのか」にまで戻る癖は身につけておくべきである。

不定詞、動名詞、分詞の英文法を考えれば考えるほど意味上の主語という問題が一筋縄では行かないということは、英語研究者の一人として言っておきたく、ここに記した。

今回書かなかったが、意味上の主語を詳細に検討してはじめて副詞的用法と形容詞的用法の区別が可能になる。次回のレッスンではそれについても彼に(今度はヴォクの方から)クイズをしてみたい。

注) 不定詞は動詞ではなく、1)名詞用法 2)形容詞用法 3)副詞用法 の3つの用法に大別される。
2)の形容詞用法をさらに分けると 2-1)名詞修飾 と 2-2)補語 の働きがある。
2-1)の形容詞用法・名詞修飾をさらに分けると、修飾される名詞とto不定詞との間に、 2-1-1)SV関係 2-1-2)VO関係 2-1-3)同格関係 がある。
という判断枠組の中で考えた。
以上
Hana Hikari
posted by ヒカリ at 06:42| 英語ペラペラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お役立ち系 「ほんわか」(中学生向け)

屋根より高い夢があーるーかい?
こんにちは、ヴォクです。(銭金風のカメラ目線で)

子どもの日だ。
子どもの日にマー君が投げイチロー選手40歳が走り、打ち、守り、帽子を脱ぎ、投手大谷が投げる。(厳密にはちょっと早かったが時差があったり録画して見たりすればだいたいそれは5/5だ。物理で言うところの慣性力みたいなもので乗ってみてなれればそういう気もしてこないかな?(相変わらずテキトー主義))

ムネリンはどうだったか未確認だがそれは後にしよう。

欲を言えばサッカーワールドカップの船に
乗る(完成)メンバー発表も5/5にしてほしかったかな〜、って。

子どもの日にふさわしいものを紹介したかった。
とっておきというにはあまりに有名だが子どものための独学図書について書かむとす。

きょうもまた独学図書を紹介しよう。この「ほんわか」についてはまだ紹介2回目なのであと一度はまた書くことになるだろう。よいものは3回は書くがヴォクのポリシーだ。

この独学独習参考書「ほんわか」は中学生範囲向けだ。

解説はうんちくにとみ一口サイズにまで噛み砕かれている。

その上ビジュアルに訴える紙面構成で、コンパクトかつダイレクトにポイントを学べるような単元解説が多い。

入門者や独学者のはじめの一冊に最適なつくり。

独学の基本は本をよく読み(かじりついて読むってことね)、問題を解いて演習することにある。

わからなかった問題は考えて読んで考えて解いて、手を動かし、それでもなおわからなかった問題は考えて読む。

一度わからなくてもよく読めばわかることも多いしわかるまで考えぬくことだって必要だ。

何回何周するかは問題ではない。
わかるまで考えることに意味がある。

前置きが長くなったがゆっくり読むことはゆっくり考えることにつながっている。

その点、「ほんわか」は独学者のよい味方であるだろう。

その上、動画解説がついている。
これがめっさいい。

学習にとって、視覚的聴覚的効果は決して小さくない。

パソコンや携帯端末でも動画解説が視聴できる。
お役立ち系。

まだ見たことがなかった方は一度試しにYoutubeで苦手な単元をみてみるといい。

たとえば中3の理科なら、イオン、酸アルカリ、遺伝など中間試験の範囲でもいいかも。

注) 中学の歴史はとくによかったが、たしかログインが必要だ。一部の教科ではそうなっているがログインしたら見られる。

ほなね。
イチロー選手のフォームに余裕を感じる。
毎日の身体のケアがあってのことなのだろうけれど。

(引用はじめ)40歳の天才打者は、調整や準備の難しさを問われ「(普段は1本の)ユンケルが2本になるとか、そういうところですかね」。(引用おわり)

それはダブルヘッダーの影響もあるのだろうか。
スタメン固定だったら1本のままでいいのだろう。
彼ならその場所を見つけるだろう。

(おまけ)
次回の英語購読で扱いたい。
きょうのnytのこの記事。
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