2012年07月25日

えのもと監督(1)

えのもと監督はテニスの試合ができなかった。ご高齢で足が動かないこともあったがそもそもテニスの初心者だった。

ぼくらが九州大会や国の大会に出るくらいになると監督はひとりだけ人を連れてきた。

うまくなった数人だけが、えのもと監督が連れてきたそのコーチを相手に乱打をすることができた。乱打は文字通り乱打であってネットにもかけずコートからも出さずに40本、50本と連続でとにかく全力でまっすぐに打ち合った。

力と力の勝負だった。年齢も立場もない。打ち負かしたほうが勝ち。
カーブもスローカーブもない。(テニスではロブといった。)

ストレートを全力で打って相手が力負けしたら乱打が終わる。
何本打ち合うのか数えてはいなかったがときに5分くらいエラーなく継続して打ち合った。コーチは数人と合わせて1、2時間くらい打ち合ったら、監督とちょっと話をしてすぐに帰った。そういうことが月に2、3回くらいはあっただろうか。監督はどういう意図とタイミングで彼を呼んでいたのだろう。

えのもと監督はいつものようにコート脇の日陰のベンチにひとり腰掛けタバコをプカプカさせてただその乱打を見ていた。
彼がコーチに練習を手伝わせたのはその乱打のときだけで、球出しなどの基礎的な練習のほとんどは自らのラケットで球を出してくれた。
えのもと監督の球出しは、落合博満のノックのようなコース際どく狙われたものでなくどっちに飛んでくるかもよくわからない無回転や逆回転の悪球だったのでぼくらは必死に追いかけた。

いま思えばボールの軌道をイレギュラーにするためわざとああいうへんてこなカットボールを出していたに違いない。
当時は監督はボール出しが下手だなーと思っていたが最近やっと気がつくようになった。

夢に監督がよく出てくる。
練習のあとに暗がりの中で話してくれたいろんな説教話が夢の中でははっきりと聴こえてくる。

「やるならやれ。やらんならやるな。俺は半端はひとっちゃ好かん。」

3日に1回、300回くらいは聴いた監督のこの言葉。帰り道に部員同志でも監督のものまねをして言い合ったのでもう何回聞いたか数えきれない。

よくもまあ同じことをこう何回も何回も話せるもんだと思っていたが、でもそれだけ言われるとさすがに米を主食にしてるくらい当たり前になった。
常勝チームの暗黙の合言葉だった。
「練習を一番やってる。だから優勝したんだ。わかっか? 次も優勝したいか? じゃあどうすっか?」

ヴォクの足は夢の中でも疲れと監督の顔を見る緊張から直立してガクガクだ。
安いという理由だけで長くつかってたマイラケットの3倍の値はしたであろう監督のラケットは説教中にケツバットを部員にして、折れることがあった。
そんなときぼくらは「ああ、監督は本気で怒ってるんだな」とシンとなった。
それはつばを飲むくらいの最高級のラケットで、誰かが怒られラケットが折れてしまうと他の部員たちまで全員反省した。
怒られるのも悲しいが、なによりラケットがかわいそうだったから。
ぼくたちはみなラケットを愛していたんだ。

夢を見る。
ときおり金縛りとなり苦しくなって目が覚める。
あー、こわい夢だったー。

でもまた監督の話が聴けた。
posted by ヒカリ at 06:01| コーチ・えのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

ノートの取り方を見れば(1)

ヴォク、久し振りにほめられて。

基本的に失敗ばかりしていて普段ほめられるということがない。
でもきょうはうれしかったなー。
学期に一回ご連絡をいただく卒塾生の保護者さまからいつものように高校での成績を教えていただいた。このタイミングでは一部の在塾生よりも結果を知るのが早い。すぐに教えていただけるのほどうれしいことはない。(いいかわるいかは正直なところあまり気にしていない。一緒に練習していれば実力や受けというのはお互いよくわかっているので結果はある程度想像がつくものだ。ここで「お互い」というのは指導者の力量も子どもにはすぐにわかるものだという意味で。)


聞けば独学でとても好成績を残したとのことだった。
1学期総合でクラス1位をとったとお便りには書かれていた。(クラス順位しか出さない高校が比較的多い。)
他にも平均評定数値などいろいろ書かれていたのだけれど、気になったのがノートのくだりだった。
「テスト前になると、○○のノートを友達が奪い合うそうです(笑)」

奪い合うって!
笑えない。
まったく笑えない。
そういうノートをとっているのか。
さらに深化してるな。

この子は中学の頃からノートが細かくてよかった。授業中の先生の発言をたくさんメモっていた。
そう、あれはこの子が中2シリウス数学発展編を使っていたときのことだ。
テキストのせまい余白にすべての答案を書き込んでいた。
書き込み専用のテキストではなかったのだけれど米粒のような小さくて、でも読みやすいまっすぐの字が並んでた。いつも開くたびその整然さに感動するノートだった。
あのノートのことをすぐに思い出した。
すごくうれしかった。


お便りには次のようなお世辞までついていた。

「○○の勉強に関しては私もびっくりしてるんです。でも○○はよく言います。
「ヒカリ塾で鍛えられた」と顔1(うれしいカオ)
いろいろな意味で成長させていただけたと思っています。」

ああ、なんというありがたい言葉だろう。
何かを鍛えたようなつもりはなくたんに運動部のキャプテンもしていたこの子には塾にくることになる最初からもう根性がたくさんあった。

塾にきた頃はヴォクが一問ヒントを出す度に「はい。ありがとうございました。」と大きな声で返事をされ、御礼は帰るときにまとめて一回でいいからと何回か伝えた。家庭教育で御礼をちゃんと伝えるようにとそう育ったのだろう。

ヴォクはただ週20時間分くらいの宿題を中学の3年間毎週一緒に決め、欠かさず組み立て、わずかばかりの添削をしただけだった。この子は宿題(約束)をただの一度も忘れなかったしその上復習を自分なりに勝手に繰り返して気の済むまでやっていた。後半は週課題の設定と目標もこの子が自ら立てるようになっていた。

受験を迎える最後の年の夏休みはご家族がみな仕事で家にひとりでいることが多かったと後になって聞いたがその夏休みに10以上偏差値をアップさせることをこの子はしていた。部活が終わって根性を勉強にぶつけたらどうなるのかくらいわかっていたつもりだったが夏明け以降の模試結果には毎回のように驚かされた。夏の大うなぎやー。


その根性があれば入試だけでなくいろんな道でも力を発揮できるだろう。

途中の困難の乗り越え方もいつか機会があったらインタビューしてみようと思う。
わからないことがあってもあきらめないのだろうな、練習量が多いのだろうということまでは想像できる。この子はまずもってあきらめない。
では高校の授業でわからないことはどう調べどう自学自習しているのだろう。
色んなことが考えられるが、何にもわからない。

Tさま、ありがとうございました。






posted by ヒカリ at 01:07| すごいノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

一番厚い夏(もう一回)

不思議なことがあったの。
それはね。

子どもの本に蛍光ペンがひかれてたの。だけど引いた記憶もなければペンに見覚えがないんだって。そこはまだ本人は解いていないページだったの。
新品で購入した本なのになんで?


どこにって?(効き耳を1カメに向けて貝のような形をした手をあて相手の質問を聴くポーズで)

それが、子どもの問題集の問題番号の上に。
薄いうすい黄色の蛍光ペンが引かれてたの。
何箇所もいっぱーいだよ。

いっぱーーーいっ(最初のイにアクセントを落としていっぱーいの得意のポーズで)。

この子が引いてたんじゃないのに勝手に蛍光ペンがついてて、こわってひいたみたい。
そもそもそのペンは普段使わないんだって
筆箱の中に蛍光ペンすら入れてないんだって。

あれじゃね?
夢の中で勉強してできたのに印をつけたとか。努力家だねー(^-^)
(いえ、夢の中では勉強してません。)

じゃー、あれだ。
兄弟姉妹がチェックしたとか?
(ないですねー。)

んじゃー。もしかしてお母さんに貸した?
貸したでしょう?
(いえ、開きもしません!)

くー、気になるー。
いったい誰じゃーーー。
誰がジャー(間寛平兄さんキャラで)。

ヴォクがつけた?
逆に?
(いや、せんせーもオレンジのペンしか使いませんよね?)

そ、そうだ。
もしかしてさー。
あのさー。

まぁ、よろしい。
(そう、世の中には不思議なことが多いんですよ。)

はい。わかりました。

(師弟逆転したまま退出)

夏の厚いノート大作戦を今年も伝授しよう。
それは問題の解法を問題用紙をながめながらブツブツとセルフティーチングするという丸飲み復習法の森勉であってA4のノートがもうねすごいことになっちゃ・・・

もういっかいもういっかい。
もういっかいもういっかい。
その名は「もう一回ノート」。
4年前にも書いたけど、それをはじめよう。


この記事の写真は塾生が撮って送ってくれた。
http://selflearning.seesaa.net/article/124482520.html
虹がいいし影の形がいい。
この子は今年入試前の最後の夏を迎える。
予習復習を終わらせると言ってた。
この子ならそれをやってのけるだろう。



posted by ヒカリ at 03:21| ぶどう糖・にんじん・マヌカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

独自ルート(2)(こらぼ)

http://lionlife.hakumon.info/?eid=937746
lionさんの独自ルートにふたたび触発されて。

自学自習自体は難しいことではない。
それは目標と根性だけの問題だから。
ただしいくつかのハードルがあることも同時に否定できない。
自学自習もして実際にゴールにも届くかの点が問題となる。

自学者が困ることがある。
1つに何を使って練習したらよいのかがわからない。
良問というのはたしかに存在するのだが何が良問なのかがわからず途方にくれる。
まさか1年間の日本の全学校の入試問題をぜんぶ解いたり、あるいは1校を過去に遡って50年分全問題を解いたりすることは時間的にできないしそうする必要もない。
では何をしたらいいのだろう。
せっかくやるならいい練習がしたいと思うのは人の常である。
そういうわけで人は考えている。
「ピカピカ光る数珠の良問はどこにあるのだろうか」と。


2つ目にどれくらいのペースで進めてみたらいいのかペースメーカーのないことに困る。
しっかりやっているつもりが気がついたら亀の鈍足だったということではまるで成果にならない。
まさか図書館で、自分の世界にこもってシャカリキ自習している隣の席に座った人に尋ねるわけにはいくまい。
かくして人は考えている。
「その良問を1日何題解けばいいのだろうか」と。


2つの質問にヴォクがこたえよう。
まず問題は解けば解くほど問題を見る目が肥えてくる。
なんじゃーこの問題は、って言えるようになるしくぅーこの問題いいなーって思うようになってくる。
だから目の前の問題にくらいついて解けばそれでよし。

次に一日何題解けばいいの?
って、それはどんな質問なんだい?
わたしはどこに行けばいいの?
わたしは何になればいいの?
と同じでなにかがおかしい。
一日中解けばいいし、気がすむまで解けばいい。
逆に一日何題かなんて決まってたら汽車と同じで線路の上しか走れなくなるぞ。


何題でもいいの。
それは趣味の問題なの。
成果が出したいんだったら起きてる間中ずっとやれ。



posted by ヒカリ at 13:59| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(lionさんの) 自分の頭で考える

http://lionlife.hakumon.info/?eid=936685

定期的な試験が終わり、自分を振り返る時期に。
posted by ヒカリ at 07:39| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

数学の良問プラチカ

今日の子。
理系プラチカと文系プラチカが全問残らず1周完了した。
「1日1題」ペースを守り切った彼の勝利。
夏休みに2周目。
秋に3周目ができると話してた。闘う50題を手渡した。
このペースでこられたのはひとえに根性のなせるわざ。ズルを一度もしなかった。3回原則制を敷いているのでズルを続ける子はもとより1人もいないが何年もの間1度も約束を守らなかったことがないのはとくによかった。

ところでこのプラチカ(鳥山昌純先生)、受験数学では当たり前、暗黙の了解となっているところの参考技(教科書範囲外の公式や定理などちょっと便利な解法)を一切使っていない、すごい書物。

あー、外積もねぇ!

正射影もねぇ!

合同式も包絡線もね!

おらこんなのもー、やじゃない。

ぜんぜんいやじゃない。

教科書に載っている公式だけで入試のやや難問題をさばいてゆく。
この問題集が評価を得ている理由は問題がたんにドドド定番の良質問題のみをセレクトしているからというだけでない。
問題数が絞られ中期で森勉できるからだけではない。
解法がまっすぐなのだ。
落差の大きいうっとりするようなカーブがない。
全球ストレートのみ。
それがこの問題集をまっすぐで気持ちのよいものにしている。
そんなまっすぐな定石ばかりだから、どうにかして身につけたい。
うまくなりたい。
練習して使いこなせるようになりたい。
そう思わせるようなまっすぐを放ってる。



posted by ヒカリ at 00:12| 独学独習問題集参考書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

森勉(33)

森で勉強する(32)http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-07-04-3 の続き。

入試において過去問は木であり教科書やホーム図書が森にあたる。
1つひとつの過去問をやることで自分がどうなればいいのかが見えてくる。
すごい問題、ゴイスな問題、いい問題、わるい問題ある。くー、そうきたかー、おもしろいなー、ゴイスだな。持ち帰って検討します!勉強させてください!という問題もあれば、そんなので私の力が測れるの?なにこれ?(つん)という問題もある。
でもそんなことをただ批評しているだけでは何かは始まらない。難問奇問良問悪問いいもんわるいもんゴイス問含めて、過去問をやるときには得点を集める人でもなければならないもん。

入試はそれが紙に書いた答案用紙を採点されるというルールでの得点形式である限りスコア(素点)を多くとった人が問題(=課題)解決者である。
まだ修行中の身で過去問を前にしても制限時間内に何にも手がつかないなら、何が足りないのかがわかる。
基礎のピースがそもそも足りないならそれをホーム図書で集めるしかない。
時間が足りないならスピード◯を身につけるため「知識の引き出し」速度、文字を書く速度を常日頃測定するしかない。毎回時間を測定したらいい。
読んだらわかるが思いつかないなら繰り返しや定石定着により「知識の引き出し」を強くする。
過去問や模試が本番と異なるのは分析し反復し反省する時間までが与えられているということにある。
はじめから合格最低点を超えるようなら苦労はないがそうは問屋が下ろさない(過去問屋だけに)。
過去問は10年分、20年分、30年分と縦に進み、他の学部の類似問題まで横へよこへ広がり、解いて構わないが右から解いて左に流す合気道術の流儀でやってはいけない。
解いて格闘して立会いからやりなおす相撲稽古のように繰り返し、解けるまでやったほうがいい。
過去問という大木を見て入試を知ったらいつも基本のホーム図書に戻ったらいい。家は戻るためにある。
ホーム図書のメモに何年にどういった形で出題されたかをメモしてもいい。
ホーム図書の解決方法を調べ相談しコンサルトし自分なりの形での結論を持っておけばいい。
過去問や会場模試と稽古するたび、闘う自分に磨きをかけ心技体を高めることができる。
過去問を復習してしまい丸飲みしてしまい自分を大きくするのなら、悪問奇問さえ肥やしとなるだろう。
それどころかほとんどの入試問題は何ヶ月も寝かせてつくられた大作であって、学ぶところがたくさんあることだよ。




posted by ヒカリ at 07:14| 森勉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

独自ルート(1)(勝手にこらぼ)

かつてあるがお〜★系のミスチルにもお詳しいlionさんが電子的な日記に書かれていた。
勉強道具を揃えるのにも金がかかると。
いつもそのことを思う。
その方はまた別の機会に「一に目標、二に教材、三に環境」と書かれていた。
http://lionlife.hakumon.info/?eid=937235



教材、とりわけ本を揃えることについてわずかだがヴォクの知っていること、要するに全部をここに書こう。

合格体験記(100人以上の事例を参考にする。)・・・2、3日集中的に読み自己のプラン作成の鏡にできる。ときにモチベーションアップのエールを永く与えてくれる(エール出版社さんだけに)。

辞書(電子書籍で構わない。)・・・情報の多さ、独自性もさることながら検索効率アップに。用例や独自解説の多い電子辞書は欠かせない。

参考書(難しくとも何でも載っている。)・・・調べるは学習の基本。勉強すればするほど調べる時間は多くなる。

音声・・・耳から聴いて覚えるのが合う人もいる。リスニング音声はとくに欠かせない。(それなのに国の学校の教科書にはいまだ音声をつけていないという。)

導入書(イメージ中心。詳しくなくとも全体像をパッとつかめる。)・・・語学春秋、中経など「実況中継」や「面白いほど」系、社会人向けの書物は読んだ方の感想だけでなく自分が立ち読みしてもわかるかを書店で実際に読んで検討したい。予備校の授業が再現されたわかりやすく独学独習用で安価なものが今世紀に入って一気に増えている。利用すべきだ。

思考回路本(著者の思考体系や解法を丁寧に再現。一生もの。)・・・絶版も多いのでamazon、ブックオフの中古市場を活用したい。思考回路本は点数アップの観点もあるがむしろ人として学ぶ喜びを与え続けてくれることだろう。

過去問・・・出題形式、出題範囲が類似する部分はできるだけ多くの年度のものと格闘したい。まずもって形式が学校ごとに違う。たとえば同じ私学でも立教と明治と立命館ではもうまったく出題形式が違う。
過去問はときに最高の稽古相手、最高のコーチになる。しっかり利用し、解説や解答の一部にツッコミや別解を入れられるくらいでありたいものだ。

受験勉強に必要な書籍を揃えるのにはそれなりの費用とかなりの執念を要する。でも予備校の講習会で師匠の講義に払う御礼と比較して検討の上、あるとよい書籍は持っておきたい。とくに過去問は準備のはじめの一歩になる。
(3年後には電子書籍や電子媒体、映像授業で学習するのも本と並んで一般的になると思うが今回はこの点についてだけはカットした。)

教材に関しては何が必要かはじめからわかる必要はないと思う。
逆に人に与えられることのできない「自分の目標」(本気)とわずかばかりの入試過去問があれば自ずと道は開けるだろう。

でも、結局どれをしよう。この問題集で最後まで行く? ファイナルアンサー?
ちょっとまようなー。


と、必要のものをあげてきた。
まとめるほどでもないのでもう一度知りたい人は最初からどうぞよろしくね。

でね、最後にいちばん大事な準備があるの。
どんなツールを揃えても、どんな道具をもらってものび太みたいに使う人がいるの。

考えるのび太。
映画ののび太はいつもかっこよかった。
考えるのび太に道具を与えたら鬼に金棒。

書を開く前に考えよ。
読む前に自分の足で考えよ。
人に聴くまえに自分の目で考えよ。


posted by ヒカリ at 01:15| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

(lionさんの) 離

http://lionlife.hakumon.info/?eid=625884

こちらを拝読して次のようなものを前に書いたの。


「英単語の self には「自己(の一面), 自分自身, 本性, (人の)性格, 特異性」くらいの意味がある。

このセルフは経験とともにどんどん変化する。人間が生まれてから死ぬまでずっとセルフが同じだというよりはむしろ、そのセルフはどんどん変化する。

あるときはいいものに憧れて、またあるときは自己の失敗経験から反省してセルフを変えてゆくだろう。

だから同じでなくなってしまうことを恐れなくたっていい。
変わってしまうことをこわがらなくていい。
自分のいいと思う方へどんどん進んでみたらいい。それがセルフだ。

失敗もまたいささかも、恐れるべき対象ではない。
失敗の向こうに待っているものがあるのだから失敗は少しでもたくさんした方がいい。

本番が1回しかないのに失敗してどうするって?
本番での成功の確率を少しでもあげるためにテストマッチを設けてなるべく多く失敗しておいたらいい。
失敗の理由がわかれば対処のしようもあるというもんだ。」
http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/2012-06-10


今回の期末試験、会場試験はどうだったろう。

それのエラーの原因を直視できる人だけが次にエラーを少なくし、よかった点は思い切って今後も継続したらもっと高いとこころがみえてくるだろう。エラーの中に進化の秘訣が眠っている。

「一直線に成功に行き着くことはまずありません。小さな失敗を積み重ねることによって成功が見えてきます。失敗は必要なのです。むしろできるだけ早く失敗するほうがいいでしょう。」(ユニクロ社長 柳井正さん)という言葉を読んだことがある。

「むしろできるだけ早く失敗するほうがいいでしょう」かーーー。

失敗しよう。
変化することを恐れなくていい。
昨日までの自分に今日は新しい自分を付け足そう。
posted by ヒカリ at 09:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

森勉(30)

こんにちは、もりのべんぞうこと、世界のもりべん(30)です(もりべんってだれだよっ!)。

え・・・! べんぞうさんて30歳じゃないの?

(いや、そもそも苅野勉三(かりの べんぞう)であって森のべんぞうさんではないからっ!)


だれでも知ってる当たり前のこと、でも意外に実行する気がしない壁(のようなもん)があること。
一冊を何周も繰り返して全体像と細部をつかむという話「もりべん」のつづき。

もりべんについてぼくも書こう。
ほっともっとにもほかべんにもないかんね。



決めた一冊のことは「ホーム」と呼ぼう。
たまに見に行く参考書は「アウェイ」ね。

「ホーム」図書をつくるメリットは何だろう。

合格者に話を聞くと「数学は◯◯しかやりませんでした」なんて話がよくある。
え!それだけ? なんで?というような感想を持つがよくよく聞くと、ただしその一冊を前書きから後書きまで丸ごと覚えるくらいにまで繰り返している。書物の発行年月日を覚えているなんてザラである。それくらい読み返したということだ。

このように、よく一冊の参考書、問題集ばかりを何周もやって極める学習法について耳にする。
一冊に絞るメリットとして一周目に速く回し全体像を早期につかめるということがある。
一周目はいい意味でアバウトに進めている。
細部には拘らず森の全体を見渡すまでの時間が一冊だけなので速くなる。
難所に出くわしたなら、一周目には旗や印だけつけておき他の本に調べることもせずすっとばす。二周目以降にそこは重点的にやればいいまでの話だ。

たとえば新しい不慣れのゴルフコースではじめの一打を打つ時にグリーンまでのマップがはじめから頭の中に描かれていたら一打目をどの辺りにおけばいいのかがわかる。
まったく知らないコースをプレイするときよりも慣れたコースでプレイするときの方がスコアが上がるのはこのためである。

勉強もこれに似て全体の中のどこをやっているのかを意識しておくことで学習しやすくなる。だから一周目はたくさん失敗していいしたくさんエラー経験を積んだ方がいい。失敗することでそこが重点だとわかるようになってゆく。落とし穴には旗がもう立っている。
このように一周目速く回して全体像を把握するのが「森勉」の特長の一である。

たとえば数学でよく「わかるまでえんえんと考え続ける」という学習法がある。もちろんこの学習法にいい部分はたくさんある。でも、一生考えつづけたとしてもわからない問題が存在するのもまた事実。数学はそれくらい難しいものだ。腑に落ちないとしたら、その課題は課題として棚上げし、マークだけつけて、次に進むということをしないとずっと同じところで立ち止まったまま1年、2年が過ぎてしまうということがザラにある。
なんでだろう、なんでだろうと疑問に思うことは大切であるが、疑問をノートにメモしたら、いったん注吊りしたまま次へ進めてみよう。違う分野をやった後から戻って考えてみたら、あ、わかった!ということだって数学には多いんだ。
ラッセルは「地下へ行け!」という号令とともに、長く考えてもわからないことがあったらすっかりそのことを忘れてしまう習慣があった話は有名。

「森勉」には二つ目の特長がある。
記憶はくりかえすほど定着するのは教育心理学で知られている通りである。同じ解法を二周三周四周五周六周と見直すことではじめは意識的だったものが徐々にじょじょに長期記憶の倉庫の中で整理整頓されるにつれ無意識に近くなる。オートマティックにページの先の方に何が書かれているかが予測できるくらいにだんだんなってゆく。著者の思考回路が頭の中に出来てくる。もっと何周もすると、わかるところはペラペラとページを早くめくりながら理解できるようになってゆく。二周目は重点を中心にやることになるのでそれなりの時間がかかるが、三周目、四周目はマークが少なくなっているので周回あたりの時間も短くてすむ。
短い上、記憶がますます定着する。
いいことずくめ。
数学の底力は、正解になったときよりも正解が得られる以前の試行過程においてもっとも身につく。単にすぐ解けることを目標にせず、1周でわからなければ2周、2周でだめなら3周と繰り返し考えることが、力をつける秘訣になる。
定理(数学の本質)は1つでも、その理解には(無限の)深さがある。
何度でも、定理と問題の間で悩んだらいい。

三つ目の特長。
著者により解法は異なる。はじめからいろいろな本の著者のいろいろの解法で学ぶとひとつの解法をマスターする前に混乱して時間がかかる。はじめは割り切ってひとつの解き方だけを自分のものとするなら習得しやすい。はじめから振り子打法とガニ股打法を身につけるのは、難しい。


そういうことがあるのでまずは一冊を血肉化できるまでやるのが効果的だ。
どうしてもわからないときだけ他の参考書を調べるために使えばいいのであって、二冊三冊を必ずしも同時に回す必要はない。
よそ見ばかりして、あの本だったらわかりそうだな? この本はあまりよくないのかな? なんて考えてウダウダする前にとっとと決めたその本を一周回したほうがいい。

昔教えていたある子は「森勉」をどう勘違いしたか、『英文解釈教室』を5冊持っていた。
わけを聞くと繰り返し用だと説明していたが、本が変わってはマークがなくなってしまうではないか。

どうしても白いのが欲しかったらもう一冊だけでよかったのに。

最後に、マークを入れるときは一周回目は薄い色の蛍光ペンがいい。黄色とか。そもそも一周回目は右も左もわからずどこが大事かもわかってないときだ。蛍光ペンの意味が小さい。あとで二周目にも「?」なときに少しずつ上塗りし濃くしていけるから。
はじめからどピンクや紫でぬっちゃうと復習時に目立たせるのが難しくなってしまうかも。


(おおもりのべんとうやさん(31)へ続く)
http://selflearning.blog.so-net.ne.jp/2012-07-04
posted by ヒカリ at 07:03| 森勉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする